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NPO法人青少年自立援助センター/YSCグローバル・スクール/田中宝紀 (IKI TANAKA)

NPO法人青少年自立援助センター定住外国人子弟支援事業部統括コーディネーター/NPO法人多文化共生子ども・若者プラットフォーム理事長。 東京都福生市にて外国にルーツを持つ子どもと若者のための教育・自立就労支援を担当。7歳と3歳の2児を育てるフルタイムワーキングマザー。

学校からのSOS、聞こえていますか?

教育・学校

先日、臨床心理士鈴木晶子さんのブログに「閉鎖的なのは学校なのか、地域なのか?」と題されたエントリーがアップされていました。 ブログの中で鈴木さんは、実は閉鎖的なのは学校ではなく地域なのではないか、という視点と共に、

 

しかし、既に学校だけを「閉鎖的で困った機関」にする段階は終わっていると感じます。むしろ、地域に開かれてきた学校を地域福祉や地域医療がどう受け止めるのか?という段階に既に入っています。 さて迎える福祉や医療の関係者として、私たちは学校のSOSを地域でどう受けとめていきましょうか? 閉鎖的なのは学校なのか、地域なのか?

 

と問いかけられていて、それについてしばらく思いを巡らせていました。 それと時を同じくして、座談会企画に参加させていただいた月刊「生徒指導」7月号が手元に送られて来ました。

 

あの時の座談会のテーマが 「家庭や地域、警察との連携はなぜうまくいかなかったか-川崎中1生徒殺害事件を受けて」 というものであったことを思い出し、奇しくもさらに「学校-地域連携」について考えさせられることになりました。 僭越ながら、時折研修会や講演会に読んでいただき「地域連携」についてお話しをさせていただくことがあります。そうした場で外国につながる子どもを支援する方々の声を伺うと、「学校の敷居が高い」とおっしゃる方も少なくありません。なかなか連携が取れない、と。 しかし、前掲の鈴木晶子さんのブログでは、このあたりは

この2ヶ月のこうしたSSWとしての勤務で、NPO法人パノラマの活動でお世話になっている田奈高校さんや、これまでのインクルージョンネットよこはまの相談支援の中で関わってきた高校の先生方との連携を通じて感じていたことの一つが、いよいよ確信に変わってきました。 それは 「学校は閉鎖的だっていうけれど、本当は閉鎖的なのは地域の専門機関なのではないか?」 ということです。

とされていて、これは私もうっすらと感じてきた部分でありました。

それぞれの支援機関は「子ども」のために支援を行っています。学校もこの点では同じです。 しかし、その機能の中に「自分の庭(支援機関)の外」にいる時の子どもや学校で過ごしている子どもについて(その支援機関が)どのような立場から、どのように支援するか、という事が明確に組み込まれている機関は少ないのではないか。

学校や地域との連携 と掲げられていたとしても、具体的なHowが(属人的ではなく、機関として)確立されているところはあまりないのではないか。

少なくとも、この連携の形や深度は地域間格差が大きそうだな、ということは感じています。

 

月刊「生徒指導」の企画対談では、私は

「(学校と連携して子どもを支援する)NPOや地域人材の育成を、教育行政の一つとして進める、という視点があっても良い」

と発言しました。

 

それは、子ども1人を支援する際に「学校(やその他の関係諸機関)と連携することを前提とする」支援機関や専門家でなければ、包括的に学齢期の子どもの支援は成立しづらく、学校と支援機関・支援者との板挟みになり家庭や子どもが困る、というような事態が起こり得ると感じているからです。

 

そうした機能・視点を持たない機関や専門家が、複数、1つの家庭・1人の子どもに関与してきたケースを知っていますが、支援「される」側の混乱は非常に大きく、誰の為の支援か、と考えさせられました。

 

一方、対談相手のおひとりで、生徒指導コンサルタントとしてご活躍されている吉田順先生は、

「何か問題が起こるたびに、新しいことをやろうとしてきた(にもかかわらず、変化はなかった*田中補足)。~中略~いまいちばん大事な事は、詰まっている既存のパイプを立て直すことではないだろうかと思う」

とおっしゃっておられました。

 

それも一理だと思います。

学校、地域、双方に誤解や偏見などに基づく「詰まり」があって、それを取り除いていく「何か」が必要です。

最近話題のフリースクール関連法案の流れは、もしかしたらこの根詰まりを起こした学校-地域間連携に新たな一石を投じるのかもしれません。

 

それでも今はまだ、子どもたちの主たる生活の場はやはり、学校という空間であることが多い。 学校(公的な教育の場)以外の選択肢(フリースクールなど)はまだ、困難を有する家庭の子どもにはそれほど開かれていない。

 

そういう現実がある以上は、子どもに関わる機関はやはり、(復学する、しないに関わらず)学校と言う場を支援計画の外へ排して、困難を有する子どもを支えることはできないのではないか、と思っています。

 

同誌の対談の最後を、編集部の方が

『子どものために「学校として今以上にできること」ばかりを考えるのではなく、「複雑で多様な問題すべてに学校だけでは対応しきれない」とはっきり助けや協力を求めることも(中略)必要なのかもしれません』

と、これは学校の方ヘ向けての言葉としてまとめておられました。

 

今でもきっと発せられている学校からのSOSの声は小さい。

 

だからこそ、学校からのSOSを外部機関が自ら拾いに行くくらいのアクションが必要なのではないでしょうか。既存の機関の詰まりが除かれ、さらにそれだけではカバーできない部分を、NPO等の新たな力がサポートする。

そこまでしてもおそらく尚、不足する部分があるのでしょう。

 

学校の声も小さいけれど、そこで苦しむ子ども自身からのSOSの声はもっと小さい。 全ての可能な努力を尽くさずに目の前の子どもの幸せを、実現することができるでしょうか。