NPO法人青少年自立援助センター/YSCグローバル・スクール/田中宝紀 (IKI TANAKA)

NPO法人青少年自立援助センター定住外国人子弟支援事業部統括コーディネーター/ 東京都福生市にて外国にルーツを持つ子どもと若者のための教育・自立就労支援事業運営を担当。Yahoo!ニュース個人オーサー。2児の母。

「本との出会い」が外国にルーツを持つ子どもたちの人生を守る!?

<読み書きのできない大人が世界に約8万人>

 

さて、前回のエントリー

 

ikitanaka.hatenablog.com

 

では、国際識字デーについて取り上げました。
文字を読んだり、書いたりできること。そこに書かれた情報を理解し、判断し、適切に行動すること。

 

私を含め、このエントリーを読んでくださっている皆様にとっては、「できて当たり前」の事に困難を抱えている15歳以上の大人が世界で約8億人(UNESCO)もいて、さらに学校に通えない子どもたち(非識字者になるリスクが高い子どもたち)が6,700万人もいる、ということに、改めて衝撃を受けました。

 

そして日本の社会にも。日本語指導を必要とする児童生徒が公的な統計上は3万7000人います。さらにここに含まれない(けれども、機能的非識字の状態にある)子どもたちや、かつての子どもたちを含めると・・・どれだけの子どもたち、かつての子どもたちが日本の社会の中で「読み書き」ができないことによって社会生活上不利な状態に置かれているのか。その数は無視してはならないほど多いのではないかと感じています。

 

 

<外国にルーツを持つ子ども・保護者にとって「本」とは>

 

図書館が社会インフラとして整備され無料で利用できたり、学校では読書推進習慣などの取り組みがあったりと、私たちは生活の中で本やそれを読むことが大切である、というメッセージを受け取りながら成長してきました。また、雑誌やマンガ、小説など自らも自由に本を選び、購入することができる環境があり、ジャンルはともかく、本を身近に感じる、と思える方は少なくないのではないでしょうか。

 

一方で、私たちの現場にやってくる子どもたちの多くが、いわゆる開発途上国にルーツを持っています。開発途上国で暮らしてみると、本や雑誌など、「紙」を必要とする製品の値段が高いことに驚かされます。時には、1冊の雑誌が低所得層、貧困層にとって1日分の収入を超えることも珍しくありません。図書館などのインフラも整備されておらず、こうした環境で生まれ育った(富裕層以外の)子どもたちにとって、本は「身近」なものではありません。

 

日本で生まれ育った外国にルーツを持つ子どもたちであっても、外国人保護者自身が本を身近に感じることの無い環境で育った場合、子どものそばに本を置いたり、読み聞かせたり、ということを子育ての中でどこまで重視することができるか。貧困の悪循環の一部としての非識字は家庭・家族内で世代継承しやすいと言えます。

 

さらに日本で入手することのできる本の大半が、当然ながら日本語で書かれており、保護者が日本語の読み書きができなければ、いくら整備された図書館も「資源」として活用することはできません。また、外国語書籍は高価であり、入手しづらく、外国人保護者にとっては子どものために母語の書籍をそろえることは、困難です。

 

少なくない数の外国人保護者が経済的・時間的に逼迫した状況にあります。

 

・経済的な余裕が無く(母語の)本を買い与えることができない

・昼夜働きづめで子どもに読み聞かせる時間的余裕がない

・日本語がわからないため、読み聞かせてあげられない

 

など、外国人の親御さんが日本社会の中でわが子に本を身近に感じられる環境を用意することはとてもハードルの高いものになっています。

 

 

<「シングルリミテッド」に陥らなかった子どもたち>

 

過去エントリー

 

ikitanaka.hatenablog.com

 

にて、外国にルーツを持ちながらも日本語が唯一の言語であり、かつその日本語の力が小学校低学年程度にとどまってしまう「シングルリミテッド」についてご紹介しました。

 

これらシングルリミテッドの子どもたちは、ひとり親である外国人保護者が自分のもっとも得意な言語“ではない”日本語のみで子育てをした、という共通項を持っていました。

 

ただ一方で、現場では同じ状況にありながらも「シングルリミテッド」に陥らなかった子どもたちもいました。これらの子どもたちは、「日本語ネイティブ家庭」に生まれ育った子どもたちと比べても、漢字を含む日本語の読み書きに困難が見られず、学校の勉強(すごく良い、というわけではありませんでしたが)についても、平均点前後の得点を取ることがありました。

 

シングルリミテッドの子どもたちと同じ状況(外国人ひとり親が日本語で子育て)にありながらも、日本語の力を一定程度伸ばしてきた子どもたち。

 

いったい何が違うのか?

 

これは現場で出会ったごく限られたケースを比較しているに過ぎないため、必ずしも、ということでは決してありませんが、後者の子どもたちに共通していたのは「読書」でした。

 

マンガから図鑑や小説など。ジャンルはさまざまですが、彼らはよくスクールにある本棚の前に立ち、本を眺め、手に取っていました。時に図書館で借りたティーンズ文庫を片手にスクールにやってきました。

 

家庭の中か、学校か。子どもたちはどこかで「本を読む」というスキルを身につけ、それが彼らの語彙を増やし、知っている漢字の量を増やし、読解力をはぐくんだため、学校の勉強に「ついていく」力となったのではないかと考えています。


識字の課題を解決するために、各国NGOなどによって開発途上国移動図書館を導入するというプロジェクトが以前から数多く行われています。「本」に触れる。親しむ。それが「識字」のために効果的である、ということなのでしょう。
 

 

 

<ささやかな「本棚」に願いをこめて>

 

私たちの現場にもささやかながら、子どもたちが本と親しめるように、古本屋をめぐって探し集めた洋書や、スタッフの家族・友人の旅行の際に購入してもらった中国語やスペイン語で書かれたマンガ・文庫が並んでいます。日本語の絵本や図鑑、マンガなどの多くはみなさんから寄贈していただいたもので、これらの本は子どもたちが自由に手に取ることができ、貸し出しもしています。

 

 

日本語教育はもちろんですが、子どもたちの健やかな成長を支えていく上では何語かにかかわらず、健全な「ことばの発達」を支えることが不可欠であり、全国各地の支援者の方々が手探り状態の中、ご尽力なさっているのはまさにこの点かと思います。

 

「本との出会い」を支えることは、課題解決や予防への少なくとも一つの効果的な手法となりそうです。

 

支援現場に本を置く紹介することも方法ですし、最近そのポテンシャルの高さに注目があつまっている全国各地の図書館に、多言語の蔵書を増やすことも一つの方法となりそうです。

 

あ、Kindleなどで読むことのできる母語の書籍へのアクセスを確保する、ということも考えられそうですね!