「外国にルーツを持つ子ども」って呼び方、何とかならないですかね。
この呼び方で広めちゃっていいのか、といつもやや不安に思う
今月のはじめ、都立高校出願の件についてつぶやいたツイートとブログをたくさんの方に拡散していただきました(ツイートインプレッションは30万超、ブログは約2万以上のpvでした)。
これだけ多くの方に「外国にルーツを持つ子ども」という単語が目に触れると、「それなに?」「聞いたことない」という層の方々からも反応をいただけて、今まで関心の無かった方々にアプローチできたことは、こうした子どもたちの課題の社会化を目指している身としてはうれしい限りです。
(Twitter上ではこんなやりとりも)
「外国にルーツを持つ子ども」とは、両親または親御さんのどちらか一方が外国出身者である子どものことで、国籍は問いません。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 5, 2016
よろしければ、こちらの記事を→https://t.co/FZa9dgRZT9@khiikiat
@khiikiat 本当におっしゃる通りです。マイノリティーにとっての障壁はマイノリティー自身ではなく、マジョリティーの側にある、と呼び方ひとつにも表れていると思います。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 5, 2016
@khiikiat ありがとうございます。ブレイクスルー、同感です。でも、一人でも多くの方々に知っていただくことも変化の推進力となります。こうしてお声がけ下さり、嬉しいです。今後も引き続きがんばります。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 5, 2016
このtwitterでのやり取りにも表れていますが、以前から気になっているのが「外国にルーツを持つ子ども」という言葉のわかりづらさ、伝わりづらさ、長さです。私自身は最近、情報発信に(自分的に)かなり力を入れていることもあって、子どもたちの課題が拡散され、たくさんの方に知っていただくこと自体は大歓迎なのですが、一方でこの「外国にルーツを持つ子ども」という呼び方をもって、それが広まっていくことに対して、100%の自信が持てない状況が続いています。(発信しておいてそれはないだろう、というのは重々承知しているのですが)
呼び方が、呼び方が、と方々で言っていたら、放送作家のきたむらけんじさんが「言語難民」という言葉を生み出して下さったのですが、言葉(およびその関連領域と環境)の課題に特化された名称という印象があり、外国にルーツを持つ子ども(こちらは存在やバックグラウンドをあらわすことが多い)という言葉そのものの代替として使用するとやや齟齬が出ることがありました。
先週、とある企業のコピーライターやディレクターの方々と外国にルーツを持つ子どもについていかに伝えるか、を短い時間一緒に考える機会があったのですが、そこでもこの「呼び方」について議論となりました。昨日登壇させていただいたとある分科会でも、やはり「外国にルーツを持つ子ども」という呼び方を含む、ネーミングの課題はあげられていました。いずれも、解となる新たな呼び方が生まれることはありませんでした。
現存する呼び方をマトリックスにまとめてみた
過去記事でもご紹介したことがありますが、「外国にルーツを持つ子ども」たちについてはこの呼び方以外にもいくつか関連名称があります。ただ羅列してもわかりづらいので、マトリックスにまとめてみました。
縦軸に、こうした子どもたちの支援に関わっている方などが呼ぶ呼び方と、あまり接点のない一般の方々や外国にルーツを持つ子どもたち自身が自らを指し示すときの呼び方を。横軸にはその存在、所属、バックグラウンドを主にあわらす呼び方と、言語的な状況について言及される際の呼び方を並べました。
まだおそらく全ては網羅できていない(あ、すでに「定住外国人の子ども」が抜けていました・・・これは右下、ですね)こと、マトリックス上の配置に対する異論や議論の余地はあるかと思いますが(もし不足やご意見ありましたら @iki_tanaka まで)、こうしてまとめてみてあらためて気付いたことがありました。
諸々の呼び方は、一般の方々だけでなく、当事者にさえほとんど浸透していないじゃないか!
外国にルーツを持つ子ども自身は、現場では日本にルーツがあれば自らのことを「ハーフ」と称することが多く、ダブルという言い方もあるよと紹介してもあまり定着してきませんでした。また、外国籍の子の場合や親御さん自身も「私たちはガイジンだから」と、ニュートラルな会話の中で使うことは少なくありません。
それはそこに含まれる意味合いを知らないだけ、ということもあるとは思いますが・・・少なくとも、「浸透している」という意味では、当事者と一般の方々にとってはハーフやガイジン、外国人は群を抜いています。
裏を返せば、全体から見るとごくごく少数の「支援者/関係者」だけが、「彼ら」を特殊な呼び方を持って切り分けている
と言えるのかもしれないな、と。
ためしに、うちの多文化コーディネーターでフィリピンにルーツを持っている若いスタッフに「この現場にくるまで、どこかで『外国にルーツを持つ子ども』って聞いたことがある?」とたずねたところ、「いや、まったく(きいたこと無かった)」と即答でした。
・・・ある特定の課題について、特定の呼び方をすること自体の意義は十分理解しているつもりです。であるからこそ、一般の方々はもとより、当事者にすら受入れられない(理解されない)のなら「マニアックすぎる呼び方はやめるべきでは」と思っています。
最近は、日本社会で成長し成人した「外国にルーツを持つ」若者も増えてきました。彼ら当事者層や支援者でない方々の意見や視点を中心に、あらためて呼び方の議論をしてはどうか、と考えています。(結構たのしそう!)
個人的には、台湾では移民のことを「新台湾人」と呼ぶことにならって、「新日本人」という表現がしっくりきますが・・・現実に即して「移民」と呼ぶのがわかりやすさと、すでに知名度があるという点では浸透率が高そうだなーと思いますが、みなさんはいかがですか?
追記
「新台湾人」、「新日本人」という表現について、ご指摘をいただきましたので共有します。
(新日本人、という表現について)
@han_org 教えていただきありがとうございます。確かにこれはもうすでに特定のイメージのついた言葉ですね・・・。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
@han_org 在日の方々自身にとって、抵抗感があったのですね・・・。それは当時、「帰化した以上は日本人になりたい(日本人でありたい)」と考えていたり、あるいは、マジョリティの一員として紛れ込むことで目立たず(差別等を避けて)過ごしたいと考えていたということでしょうか。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
@han_org @han_org ありがとうございます。よく理解いたしました。ご多忙のところご丁寧に教えていただき恐縮です。私の家族にもあらためて当時の様子や感覚についてたずねてみようと思います。(そしてもう少し自分のルーツについて学ばなくては、と改めて感じました)
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
(新台湾人という表現について)
@hituzinosanpo そうなんですね。ありがとうございます。新移民、ということは新しくはない、それ以前の「移民」という概念もあるのでしょうか。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
新台湾人が別の文脈の表現というところも、もしよろしければ教えていただけますか。
@hituzinosanpo ご教示ありがとうございます。以前、どこかで「新移民」に相当する方々のことを「新台湾人」と呼ぶ、という記載を見つけて、そのまま受け取っていました。新台湾人についての文献を見つけたので、読んでみます!
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
@hituzinosanpo そうなのですね。重ね重ね教えていただきありがとうございます!日本に暮らす、「外国にルーツを持つ」方々について、もし、(新移民という言葉などを踏まえて)こう呼んではというアイディアなどありましたらぜひご共有いただけましたら幸いです。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
いろいろな方より上記のようなご指摘や反響をいただき始めていて、自分の無知を反省すると同時に、みなさんと引き続き、「外国にルーツを持つ」の代替となる呼び方、なによりも当事者の方々が納得できるような表現について考えていけたらと思っています。
金先生( @han_org )、あべ先生 (@hituzinosanpo )にあらためて感謝。