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NPO法人青少年自立援助センター/YSCグローバル・スクール/田中宝紀 (IKI TANAKA)

NPO法人青少年自立援助センター定住外国人子弟支援事業部統括コーディネーター/NPO法人多文化共生子ども・若者プラットフォーム理事長。 東京都福生市にて外国にルーツを持つ子どもと若者のための教育・自立就労支援を担当。7歳と3歳の2児を育てるフルタイムワーキングマザー。

日本語ができないとどうなる?(2)-10代で来日した子ども

前々回のエントリー

 

ikitanaka.hatenablog.com

 

では、9才ごろまでに来日した子どもの様子をお伝えしました。

 

今回は、10代に入ってから・・・特に現場で出会うことが多い14才ごろに来日した子どもたちのストーリーを、いくつかの事例をもとに再構成してお送りします。

 

現場ではそれまで積極的な支援がなく、「放置」された結果、母語も日本語もほとんどまともに話すことができなくなってしまった子どもとの出会いが、1人や2人ではありません。一日も早く支援を届けなければ、と願うのは、子どもたちの言葉の発達の健全度がその後の人生を大きく変えてしまう可能性を強く感じているからでもあります。

 

(写真:高校受験生限定の夏期講習の様子)

 

 

<来日直後>

 

10代に入って来日した子どもの半数以上が「呼び寄せ」と呼ばれる子どもたちです。「呼び寄せ」とは、実親がその子どもを親戚などに預けて先に来日し、経済的な基盤が整った後、あるいは子どもの母国での教育の節目(小学校卒業時、など)などに日本へ呼び寄せ、共に暮らし始めることです。

 

14,5才での来日ケースでは比較的、実両親はすでに離婚しており、(主に)外国人の母親が日本人男性と再婚した後に、出身国に置いてきた子どもを日本へこさせる場合が多くありました。

 

それまで何年も離れて暮らしていた母親と、日本人の義理の”父”(養子縁組する、しないなどは個々の家庭により異なります。)との暮らしのスタートです。時には母と新しい父の間に、小さな父親の異なる兄弟がいる場合もあります。家庭の中は久しぶりに共に暮らせるようになった母親が、日本語でしか自分以外の家族と会話をしないことに気づきます。

 

どうやら新しい父親は、英語も自分たちの言葉もほとんど理解できないようです。

母親は父親や小さな兄弟との会話にせいいっぱいなのか、一つ一つの言葉を訳してくれるわけではなく、日本語のわからない子どもは家庭の中で戸惑いを感じます。

 

 

<就学時>

 

日本人男性がメンバーとして加わっている家庭状況の場合、呼び寄せられた子どもの教育に関する決定や手続きなどは、母親の言葉の制約などもあり、日本人男性が行う場合も少なくありません。家庭内のパワーバランスや男性の考え方、あるいは男性が手続きに時間をさけるかどうか等の状況次第ではここで、すぐに就学する、とはいかないことも。

 

ようやく教育委員会の窓口に行ったときには、「日本語の支援は学校側ではいっさいできないので、日本語を勉強してから入るか、自分で通訳などのボランティアを探し、一緒に登校してもらってはどうか」

といわれることも。

 

行政の担当者に”悪気”はなく、「このまま学校にきたとしても、本人にとってつらい状況になってしまうので」と親切心からこうしたアドバイスをしてしまうことも少なくありません。


日本語を教えてくれる場所を探すことも、ボランティアの通訳を探すこともなかなか前に進みません。また、学校に出向いて転入を願い出ると、長期休暇や試験などを理由に面談までの日にちが時に1か月以上も先となることもあります。

 

外国人コミュニティの中では「日本の学校に行っていじめにあった」など、学校での子どもたちがどんなに大変か、という情報が出回っていることがあり、わが子がいじめられたらかわいそうだから、と就学を何か月も先送りするケースもあります。

 


<来日後数週間~数ヵ月>

 

基本的には、受け入れ先となる学校からの許可が出れば、教育委員会が就学を妨げることはありません。しかるべき書類を提出し、制服を用意すれば中学校への就学が可能です。

 

学校側も、受け入れの際にはその学校内で可能な限りの配慮をするケースが多く、英語教員のクラスに入れたり、学校内で比較的英語が得意な生徒などを「お世話役」として用意してくれたり、時には担任の先生が放課後にボランティアでひらがななどの読み書きを教えてくれることもあります。

 

本人が英語が得意であれば、カタコトの英語でのコミュニケーションを求めて、しばらくの間は入れ代わり立ち代わり、クラスメートが近くにやってきます。

授業の流れがおおまかに把握できるようになり、周囲の動きについていける程度になるまではさほど時間はかかりません。

 

 

<転入数か月後~>

 

次第に、お世話役だった生徒にも周囲の生徒にも、外国にルーツを持つ子どもの存在は目新しいものではなくなっていきますが、その、目新しさの消失の速さと本人の日本語の上達のスピードがある程度一致していれば、この第1の壁を超えることが可能です。しかし、ほとんどの場合、周囲の生徒が本人に対して興味関心を失 う速度のほうが圧倒的に早く、その差が開けば開くほど、クラスにとって外国にルーツを持つ子どもの存在は「重荷」になりやすいといえます。

 

授業時間には、何が行われているかまったく理解できず、親が買い与えてくれたひらがなとカタカナの練習帳を、もくもくと進めるだけ。それが終わると、1人ではどうやって日本語を勉強してよいのかわからず、ただただ時間が過ぎるのを待つ状態が続きます。

 

このような状況が続き、学校に対する苦手意識が芽生えます。また、自らの考えや思いを伝えることができないもどかしさが、ストレスとなるだけでなく、本人から自尊心や前向きな気持ちを奪っていきます。

 

 

(写真:学習支援時には難しい用語にはルビや英訳を入れながらていねいに導入しています。また授業を「やさしい日本語」で展開することで、日本語初級レベル後半程度(日本語学習時間約150~200時間以降)で数学や英語などの教科学習クラスの受講を可能にしています)

  

 

<家庭の中で>

 

学校内で苦しい状況が続く外国にルーツを持つ子どもたちですが、家庭の中でも「(新しい)家族との生活」が心安らぐものとならない場合も。
日本人の義理の父親は、はじめての「思春期」を迎えた子どもとの同居生活への戸惑いと、なかなか日本語が伸びない子どもに対して、いらだちを感じることもあります。

 

さらに外国人の母親は、日本人男性が不機嫌にならないように気遣い、いつまでも日本語が上達しない子どもに厳しい態度を取ってしまうことで、子ども自身は2重、3重に追いこまれて行きます。

 

思春期の子供にとって、こうした状況が続くことは大きなストレス、苦しみとなります。その苦しみの一つから逃れるように学校に足を運ぶことをやめてしまったり、同国出身者で同じような環境に置かれている外国にルーツを持つ仲間とつるんで、夜の街に出かけ、自宅からも足が遠のくように。

 


<その後>

 

気づいた時には、中学3年生の後半になり、日本人の生徒たちは高校入試を受けるためのいろいろな準備をすでに済ませていました。

 

いつか義理の父親の逆鱗に触れ、「もうお前はいい」と言われてから、父親には頼れません。母親は高校に行きなさい、といいますが、日本語の読み書きができない母親と自分だけでは、とうてい準備はできそうにありません。

 

周りの仲間たちの中には、夜の高校に言っていた友人もいるけれど、だいたいが1年生が終わらないうちにやめてしまっていて、受験に関するようなことで手伝ってくれる友人はみあたりません。

 

相変わらず、日本語はカタコトしかできず、日本語ができる友人が近くにいないときは、ほとんど外にでていません。

 

 

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学校と本人との心理的距離が縮まらず、家庭内でもフォローができない場合

こうした子どもたちは「進路未決定」として受験をすることもなく中学を卒業しなくてはなりません。

 

その後、再受験を目指して支援機関につながるケースもありますが、
仲間内の「ショウカイ」で日雇いの仕事に就くことが多く、不安定な就労を果たします。

 

日本語の力が不足していること、はじめて働いた場所が日本国内であり、特段のスキルも持っていないことで、就労後もキャリアのステップアップは難しく、
紹介されたバイト先を転々とし続けていることも少なくありません。

 

現場では、こうした厳しい状況に置かれた子ども同士が10代のうちに出会い、女性は未婚のまま出産し、いずれ別れてしまうというケースも複数経験しています。

思春期という複雑な時期に、突然日本に呼び寄せられ学校での困難はもちろんのこと、ようやくともに暮らせると思っていた母親との生活ですら日本語の壁が立ちはだかっています。

 

日本社会が自らの存在を歓迎してくれているようにも思えない。
学校、家庭、社会のどこにも居場所を見つけることができない状況も、珍しくはないのです。

 

 

*内容は複数の事例を再構成したものでフィクションです。

*写真は本文とは関係ありません。