NPO法人青少年自立援助センター/YSCグローバル・スクール/田中宝紀 (IKI TANAKA)

NPO法人青少年自立援助センター定住外国人子弟支援事業部統括コーディネーター/ 東京都福生市にて外国にルーツを持つ子どもと若者のための教育・自立就労支援事業運営を担当。Yahoo!ニュース個人オーサー。2児の母。

「外国人保護者は教育に無関心」のウソ

現場で400名を超える外国にルーツを持つ子ども達をサポートしてきて感じるのは、その保護者の方々への支援の必要性と重要性です。

 

子どもが健やかに日常や学校での生活を送るために、その保護者の方々が自信を持って子育てができる環境の重要性は、日本人の親御さんにとっても同じですね。

 

私自身も、3才と6才の子ども2人を育てていますが、保育園や小学校で子どもがのびのびと時間を過ごすために、毎日の準備や健康管理、保育士さんや学校の担任の先生とのコミュニケーションなど・・・これほど多くのことをする必要があるのか、と改めてその大変さと自分の親の偉大さを思い知る毎日です。

 

外国人保護者の方々にとっては、「日本語」という壁がここに加わるのですから、それはもう、本当に大変な日々なのだろうな、と思います。

 

一方で、時折学校の先生や外国にルーツを持つ子どもに関わった方々からは、「外国人保護者は教育に無関心である」という発言が聞かれます。

 

 

本当に「無関心」なの?

 

答えは、Noです。そういう人もいると思いますが、日本人の保護者にも当然、そういう親御さんはいますし、外国人保護者”が”無関心である、とは言いきれません。

 

現場では、子どもの日本語が日本人より劣っているのではないか、と不安に駆られて5才の子どもを小学生向けのプログラムになんとか入れてほしい、と頼みこまれること(“特例”で受け入れてます)や、「1日でも多く勉強させたい」と、工場の非正規雇用でゆとりのない経済状況ながら子どもの月謝をねん出しようとされる外国人ひとり親の方と出会う事があります。

 

このように、子どもの成長や教育について、心から案じていて、出来る限りのことをしたいと思っている外国人保護者の方々との出会いの方が多くあります。

 

(写真:土曜日のボランティアクラス。手前では保護者が。奥ではその子どもたちが同じ時間帯に学んでいます)

 

 

「無関心」ではなく「わからない」「知らない」場合が多い

 

ただ、学校から出されるお便りをはじめとし、子どもの育成や教育に関わる情報の多くが「日本語のみ」で渡されていて、日本語のできない外国人保護者の方にとっては、不本意ながら

 

おたよりが読めない

子どもに必要なもの/様子/保護者会の日程等がわからない

「あの家の子どもは親が無関心だから忘れ物が多い」

「親がほとんど学校に来なくて無関心だ」と言った誤ったイメージが定着する

 

という状況です。

 

あるいは翻訳支援がある学校さんでも、日本語のお便りが子ども達に配布された後に翻訳にかかることがあり、「○日までに××を持ってきて」、という期限が過ぎてから翻訳文書が手渡されることもあるとか。

 

・・・こうなると、『「忘れ物」の多い子ども』自体も苦しい思いをします。

 

学校の先生方や外国にルーツを持つ子どもたちに関わりのある方々にはぜひ、

 

☆情報を外国人保護者が理解可能な状態で発信する☆

 

という点を無料ツールなど(文科省の「かすたねっと」や自動でルビをふる「Addruby」など)を駆使してなんとかクリアし、外国人保護者の「子どもの教育について理解したい、関与したい」という親としての願いを実現していただきたいところです。

 

 

3つのプログラムで外国人保護者をサポートしています

 

私達のスクールでは、外国人保護者の方々に対して

1)個別相談

2)ペアレントスクール

3)支援者育成

の3つのプログラムを提供し、日本での子育てをサポートしています。

 

 

1)の個別相談では、多文化コーディネーターがお子さんの日本語や学習の状況や学校での様子、進路の相談や必要書類の記入など、教育に関わることについて広くメール、対面、電話などでサポートしてます。

 

新年度の始まる4月には、学校から配られた入学のしおりを手に、学用品の準備や手続きの相談にたくさんの保護者が連日つめかけました。

 

 

2)アレントスクールでは、当スクールにお子さんが在籍している外国人保護者は無料で(そうでない方は1回90分、500円)、ボランティアサポーターが日本語の学習支援を毎週土曜日に行っています。

 

毎週土曜日に行われている子ども向けのサタデースクールと同時に進行しているため、同じ会場の中で親子が別々のクラスで学んでいます。保護者が一生懸命に日本語を学ぶ姿を見て、子ども達も感じるところがあるようです。

 

こちらに通うある保護者の方。20年近く日本に暮らしながら、夫婦ともに、日本語を学ぶ機会もがなかったと、日本語ができません。彼らの子どもたちはほとんど母語を喪失しているため、家庭内で親子が充分に会話できる言葉がない状況でした。

 

アレントスクールに通う事で、はじめてひらがなを書くことができるようになり、少し日本語の会話ができるようになり、「自分の子ども達が、こんなに大変な思いをして日本語を勉強しているということを初めて理解した」とおっしゃっていました。

 

昼夜問わず働きづめの保護者の方も多く、外国人保護者を支える側もニーズの把握や時間帯の設定などには苦労しますが、「子育てに主体的に関わることができる」「子どもの教育について理解できている」部分を増やすこと。そのための支援から少しずつでも行っていくことで、親御さんの子育てに関する自信を育むことができるのではないかと感じています。

 

 

3)支援者育成では、特に近隣の学校関係者の方向けに外国にルーツを持つ子どもの具体的な支援方法や、進路指導に関する情報などをお伝えしています。また、ボランティアサポートを希望される方向けの養成講座を開催することもあり、毎回遠方からも参加者があります。

 

(写真:多文化コーディネーターによる、学校の先生向け進路指導講座)

 

特に受け持ちのクラスに外国にルーツを持つ子どもがいる学校の先生からは、なんとかしてあげたいが、どうしたらよいのかわからないと言った相談も多く寄せられ、教材の紹介や支援方法のアドバイスなど、「外国にルーツを持つ子ども支援のプラットフォーム」として、地域へノウハウを還元しています。

外国人散在地域に暮らす外国にルーツを持つ子どもの孤独

(写真:昨年度の卒業制作作成の様子。遠くは県外から子どもが通い、同じ境遇にある子ども達同士の仲間作りの場となっています)

 

 

<集住(しゅうじゅう)と散在(さんざい)>

 

日本に暮らす外国人の方々について語る時、それが集住地域であるのか、散在地域であるのかで課題や状況が変わってくることがあります。

 

集住も散在も、「その地域に外国人がどのくらいの数暮らしているか」、外国人人口の密度について表す言葉です。外国人集住地域は、愛知県や静岡県、群馬県、東京都、神奈川県などの自治体が挙げられます。こうした外国人集住自治体のうち、特に中南米にルーツを持つ居住者が多い一部の自治体は

外国人集住都市会議

に参画し、多文化共生のさまざまな課題について研究を行ったり、政策提言を行ったりしています。

 

外国人集住地域では、ひとつの団地群に暮らす大多数の居住者が外国出身者であったり、地域の特定の小学校の生徒のうち半数近くが外国にルーツを持つ子どもであったりと、自治体内の居住エリアに外国出身者がまとまって住んでいるケースが良く見られます。このため、その地域に設置されている看板が多言語表記を標準としていたり、学校内で手厚いサポートが受けられるなど、自治体も資源を投入しやすい環境です。また、NPOや市民活動団体等による支援も比較的活発に行われ、外国にルーツを持つ子ども支援の先駆的活動エリアとなっている集住地域も含まれています。

 

一方、散在地域では地域内に居住する外国人数自体が少なく、また自治体内のバラバラのエリアに散らばって居住しているため、自治体内にある小中学校でも外国にルーツを持つ子どもがゼロという学校もあれば、1人いる、2人いる、とごく少数を抱える学校が点在している状況です。

 

こうした散在地域に暮らす外国にルーツを持つ子ども達に対して、特別に資源を割いて支援を行うことは人的にも予算的にも難しい自治体が多く、散在地域の外国にルーツを持つ子ども達をどのように支えるか、は大きな課題となっています。

 

 

<日本語指導を必要とする児童生徒のうち、50%は散在地域に>

 

 

 

文部科学省が毎年行っている「日本語指導を必要とする児童生徒」に関する調査(平成26年度版)によると、その市町村内部に日本語指導を必要とする外国人児童生徒が「5人未満」である自治体は、全体の 50%に上り、同じく日本語指導が必要な日本国籍児童生徒でも、「5人未満」の市町村が 326 市町村で全体の57%を占めています。

 

学校別に見ても、外国にルーツを持ち日本語指導を必要とする児童生徒が2人未満しか在籍していない学校が小中高校全てにおいて全体の50%を超えており、散在地域に暮らす外国にルーツを持つ子どもの多さが伺われます。

 

(図はいずれも、文部科学省「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査(平成 26 年度)」より抜粋)

 


<支援も仲間もない子ども達・・・>

 

こうした散在地域に暮らす外国にルーツを持つ子ども達にとって、何よりも辛いのは同じ境遇にある仲間の不在ではないでしょうか。日本人のクラスメートがいかに優しさを持って接してくれたとしても、言葉や文化の違いだけでなく、外国にルーツを持っているというアイデンティティの揺れを共に分かち合い、支え合うことのできる存在の欠如は、強い孤独感を子どもたちにもたらすのではないかと考えています。

 

ある子は、スクールの中では休み時間も授業中も休むことなく喋り続けている「おしゃべり」ですが、中学校にいる間は(日本語が上達した後も)一言も話さない、という期間が数年続きました。「ここ(スクール)じゃなかったら、怖くて日本語話せないよ!」というその子の言葉が強く印象に残っています。(今では中学校でも「おしゃべり」になることができました)

 

私達の現場にやってくる子どもたちが暮らすエリアは、集住地域と散在地域が隣接し合うエリアであり、居住地によっては外国にルーツを持つ子どもたちが多く在籍する小中学校に入ることができる子どもがいる一方で、すぐ隣の自治体に暮らす子どもは、その学校でその子1人だけ、という状況を経験しています。

こうした子どもたちがスクールを通して出会い、共に学び支え合う事で「学校では一人だけど、スクールにくれば仲間がいるから」と、困難な状況をなんとかしのいでいるように見えます。

 

 

<散在地域の子どもたちにも支援を届けたい>


現在、このプロジェクトと並行して散在地域の子ども達や、物理的な要因で支援へアクセスができない外国にルーツを持つ子ども達のためにICTを活用し、当スクールの授業をライブで受講することができるよう準備を進めています。

 

当スクールの専門家による日本語教育支援が、インターネットを通じて全国に暮らす孤独な子どもたちに届くこと。こうした外国にルーツを持つ子どもたちが、オンライン上で同じ境遇の仲間と出会えること。そんな日の実現を目指しています。
(うまくいくのかな?ドキドキです!)

 

「たまたまそこに住んだだけ」で、教育の機会に格差が発生している現状。
「支援の場に来られなければ支援が受けられない」環境。

 

新しいテクノロジーを活用することで改善する可能性があるのであれば、外国にルーツを持つ子ども達のための数少ない専門機関として、積極的にチャレンジしていきたいと考えています。

外国にルーツを持つ”呼び寄せ”の子どもと家族再統合

<現場で出会う子どもの半数以上が「呼び寄せ」の子どもたち>

 

 

「呼び寄せ」とは、外国人の親御さんがわが子を親戚などに預けて来日し、その後日本での生活基盤ができたり、子どもの教育的な節目(小学校修了、中学校修了時など)で、日本で共に暮らすためにわが子を日本に呼ぶことです。

 

私たちの現場で出会う子どもの半数以上はこの「呼び寄せ」と呼ばれる子どもたちです。呼び寄せられて来日した直後に出会うこともあれば、数年後に出会うこともありますが、こうした呼び寄せの外国にルーツを持つ子どもたちの共通の経験は、

 

「実の親と国をまたいで離れ暮らした経験がある」

 

ということです。

 

離れて暮らしている間、外国人保護者の方々は日本で昼夜問わずに働き、必死に暮らしを立て、わずかな収入の中から多くを送金し、わが子を預けている親戚のみならず、母国に暮らす親族全体の生活の面倒を見ているなど、多忙で金銭的にギリギリの生活をしている方もおり、わが子に会うため帰国することが叶わない、ということも珍しくありません。

 

中には、生まれてすぐに親戚に預けられ両親は日本へ出稼ぎに。中学生になって呼び寄せられるまで、一度も実両親と会ったことがなかった、という子どもも。

こうした離別の間に、預け先の親戚から丁寧に養育され、離れて暮らす親御さんが身を削って送金するお金で十分な教育を受け、健やかに成長して来日する子どもたちもいる中で、残念ながらそういう状況ではなく、さらに親御さんと離れ寂しい思いをしてきた子どもも。

 

 

<「この子がこんな子だったなんて」>

 

やっと共に暮らすことができるようになり、「呼び寄せ」として来日した子どもたち。その成長を、親戚から聞いてはいたものの、実際に会ってみると想像していたわが子とは違っていたことで、親御さんが驚くことがあります。

 

「学校にはちゃんと行っているって聞いてたんだけどね、こんなに勉強ができないなんて」といったことや、赤ちゃんのころには気づかなかったものの、成長したわが子が発達障害に苦しんでいたといったことなど。

 

0歳、1歳のころの姿が直接あった最後の記憶であれば、13,4歳になったわが子の姿は記憶とはずいぶん違っていて当然かもしれません。

 

 

<子どもたちにとっても、戸惑いは同じ>

 

ひさびさに実の親と再会した子どもたちも、戸惑いや不安は同じです。

実両親の元に呼ばれた子どもたちはそれでも、家庭の中で母語での会話ができ、少なくとも意思疎通をはかることが可能です。日本社会の様子がわかってきたり、日本語が上達したり、新しい学校になれたりするうちに「家族」の絆を再び深め愛情豊かに暮らしている子も少なくありません。

 

一方、お父さんやお母さんが離婚し、日本人男性と再婚した母親に呼ばれた子ども

などは、新しい“お父さん”である日本人男性や、その人との間に生まれた父親の違うきょうだいとの関係構築からはじめる必要があり、さらに家庭内の主たる言語が日本語となっているケースでは、家庭の中ですら安心しきれない環境になっていることも。

 

親御さんが離婚し、ひとり親となって(主に)母親の元に呼ばれるケースもあり、こうした場合は昼夜働く親御さんが、来日直後のわが子とすれ違いの生活になってしまいほとんど顔を合わせることができない、という場合もあります。

 

いずれの場合も、新しい環境で新しい家族やひさしぶりに会う親と楽しく暮らしてゆける子どももいれば、親子の間に生まれた溝や、新しい家族との関係構築がスムーズに行かず、家出を繰り返したり、強い反抗が見られたり、といった子どももいます。

 

 

<「やはり一緒には暮らせない」>

 

親御さん自身が久しぶりに会うわが子のこうした反応に、どうしたらよいかわからず、悩みを抱え込んで苦しんでいたり、再婚した日本人男性とわが子との関係作りがうまくいかなかったり、など、最終的に「やはり一緒には暮らせない(暮らさない)」と、子どものみを再び母国の親戚の元に帰す、といったケースも。

 

異国で新しい家族を築く親と、そこになじめずに再び親戚の元に送り返される子ども・・・

 

義務教育時期が終わるとすぐに家を出て、友人のところを転々としながらアルバイトをし、家族の元にはほとんど帰らなくなった子ども・・・

 

そんなケースに出会うとき、家族の「再統合支援」の必要性を感じます。

 

家族再統合は、児童虐待などの文脈では必ずしも親子が離れて暮らしていた状態から、共に暮らすことを目指して行われる支援ではないようで、さまざまな形態があることがこの愛知県児童相談センターのマニュアルからもわかります。

 

 

ただ、ここでは外国にルーツを持つ呼び寄せの子どもたちが、その保護者と離れて暮らしていた一定期間の後に、いかに日本国内で共に暮らす日々がスムーズに始まるよう、親子の関係が再びまたは新たに構築され、愛情を持って支えあうことができるようにする、という意味で「再統合」と呼んでいます。

 

私たちの現場では、再統合を目的としたサポートは行ってはいませんが、子どもたちが安心して過ごせる場のひとつとして、子どもたちの学習状況や性格、集団の中で見せる表情などを親御さんに伝えることなどを通して、家庭の外から彼ら家族の新たなスタートを応援しています。

「帰れ」と言わないで-外国にルーツを持つ子どもといじめ

 

 

 

近頃、メディアでは「ハーフタレント」や「外国人タレント」の方々の活躍が目覚しく、欧米だけでなくフィリピンや中国など、さまざまな国にルーツを持つ方々の姿を連日拝見します。

 

最近では、ミス・ユニバース日本代表として選出された宮本エリアナさんや、イランにルーツを持つサヘル・ローズさんなど、今はさまざまな方が過去に経験してきた「いじめ」について言及されていて、初めて「ハーフ」や外国にルーツを持つ子どもたちの苦しみを知った、と言う方もおられるのではないでしょうか。

 

中には過去のつらかった体験をときに「笑い」として語られる芸人さんやタレントさんもおり、逆に涙が出そうになります。いずれも、少しずつ当事者(限られた方々ですが・・・)が発信することのできる土壌が形成されていること自体は良いことだなと思います。カミングアウトされている皆さんの勇気に敬意を表します。

 

 

<『「自分の国に帰れ」って、日本国籍だし!』>

 

現場で出会う子どもたちも、学校をはじめとする日本社会でいじめを経験していることが多いです。いじめが原因で不登校になり、私たちのスクールにやってきた子どもたちもいます。

 

「自分の国に帰れ」と言われるのはよくあることで(あってはならないことですが)、『日本国籍だし!』と、憤りながらその経験を語ってくれた子どもがいました。

 

このほかにも肌の色を「汚い」と言われたり、「クサイ」と言われたり、外国出身の自分の親のことを馬鹿にされたり。
インターネット上には規制なくばら撒かれているヘイトスピーチ
ニュースやバラエティ番組などからは人種差別に配慮のない言動。

 

学校からも、社会からも発せられる差別は外国にルーツを持つ子どもたちの心を(その日本語が理解できるかどうかに関わらず)深くえぐり、時にそれが強い怒りに変わって自分や他人を傷つける、という行為につながる事件も続いています。

 

 

<わが子だったら・・・>

 

外国にルーツを持つお子さんを育てている保護者の方々も、わが子が学校などでいじめられないかどうかを心から心配し、「日本語ができないといじめられるから、(日本語ができない今は)学校に行かせない」と、学校への就学を来日後1年近く控えたケースがありました。

 

たとえばもし、私自身が言葉や文化の異なる外国で子育てをしているとして、自分の子どもがその国の子どもたちにいじめられているとしたら・・・。
でも言葉が不十分なために、社会的な立場が弱いがゆえに、わが子を十分に守ってあげることができないとしたら・・・。

 

私も、子どもをしばらく学校へ行かせることをためらうかもしれません。

日本と言う「外国」で子育てする外国人保護者の方々の不安や苦しみはいかばかりか。

 

 

<保護者のも、受け入れる学校も、子どもたち自身も、みんな不安>

 

先日来日し、9月から私たちのもとで日本語を学ぶことになった外国にルーツを持つある生徒。住んでいる自治体周辺に十分な支援体制がないため、保護者の方が電車を40分以上乗り継いだところにある、当スクールへお子さんを通わせることを決めました。


入所面談が終了すると、保護者の方は「ああ、これで安心することができました」とおっしゃいました。後日就学予定の学校関係者の方へ、受け入れ完了のご報告を差し上げた際には、このご家族同様、学校関係者の方自身も安堵されているご様子でした。

 

少なくとも、ここにはいろいろな国の子どもがいて、生徒と同じルーツの子どもがいて、毎日、日本語を学ぶことができる。中学校や教育委員会とも連携を取り、スクールに通う間も中学校の出席として扱われるよう配慮されている。
本の学校生活に必要な力や情報を得ることができる。

 

・これから日本で子どもたちを育ててゆく、あるいは育てなくてはならない外国人保護者の方々が安心して日本の学校に子どもを通わせることができること。

 

・彼らを受け入れる小学校や中学校、自治体関係者の方々にも、安心して彼らを受け入れることができるよう、情報提供や必要な調整を行うこと。

 

・何よりも、外国にルーツを持つ子どもたちが「日本で学ぶことができてよかった」と感じられる環境をいち早く実現すること。

 

・・・私たちの活動が実現している/実現し得ることの意義と責任の大きさ。あらためて認識しています。

 

 

<根本的な多文化共生の「意識」はどう育むのだろうか>

 

今、外国にルーツを持つ子どもたちやその家族の力を高めてゆくことや、子どもが就学する学校や関係諸機関へのサポートについては、これまで培ってきた経験や知識、多文化コーディネーターをはじめとする優秀なスタッフの尽力である程度、効果的な形が見出されています。

 

一方で、外国にルーツを持つ子どもたちやその家族を受け入れている日本社会、そこに暮らす私たちの、多様性を認め合う、いわゆる「多文化共生」の「意識」を育むための取り組みについては、私たちができていることはあまり多くない状況です。

 

この意識や理解が先にあってさえくれたら、と思うことはしばしばですが、その課題の大きさにおののくと同時に、理想の押し付けではなく、大多数の方々が「当たり前」にこうした意識を持つことができる、そんな状況が、真にどのようなものなのか、正直(私の中で)イメージ仕切れていないという状況です。情けないですが。

 

 

<「あなたならどうする?」>

 

そんな中、先日、twitter上で流れてきたアメリカの「あなたならどうする?」(https://www.youtube.com/watch?v=xlA2KXqEHs4&sns=tw)という番組の動画を見ました。

 

番組自体は、

 

『アメリカのABC Newsが作成している社会派ドッキリ番組です。ドッキリの対象は一般人で、彼らが社¬会問題(人種差別・障がい者差別・貧困・同性愛問題・犯罪など)に直面した際のリアク¬ションを観察します。』

 

というもので、この回は、あるレストランでペルー人親子が差別的な言動に遭うとき(実際は俳優が演技しています)に、周りに居合わせたお客さんたち(こちらは本当にレストランで食事をする素人のお客さん)がどう反応するか、を“実験”したものでした。

 

 

 

アメリカという国には実に多様性の高い国ですが、そこに暮らす人々が、そんなアメリカに暮らしていることを誇りに思っていて、それを侵害する状況に対してためらうことなく戦う姿が映し出されていました。


そしてそんなアメリカの人々の姿は、移民として暮らす人々の心の中に深く「アメリカ」として染み込み、アメリカ人としての誇りを養っているのではないかと感じました。私が悩み、模索し、いまだにすっきりと答えが出ない、押し付けで無く(しかも自然発生的に!)「意識をはぐくむ環境」、のひとつのモデルを見た思いでした。

 

100%の人が、外国にルーツを持つ方々を社会へ受け入れることはきっと難しい。
20%くらいは反対し続けるかもしれないし、差別的な言動を続けるかもしれない。
だけど残る80%の人たちが、「自分を守ってくれる」と感じることができたなら・・・

 

外国にルーツを持つ子どもたちが抱える心の苦しみは、だいぶ軽くなるのではないか。

 

そんなことを、現場で子どもたちが日本語の先生と学ぶ声を聞きながら、考えています。

外国にルーツを持つ”シングルリミテッド”の子どもと特別支援

前回のエントリー

 

ikitanaka.hatenablog.com

 

で、”発達障害”を持つ可能性のある外国にルーツを持つ子どもについて、その「発見」自体が困難であることをお伝えしました。

 

そのエントリーを書いているうちに、以前支援したある生徒について思い出すことがあったので、個人が特定されない範囲で脚色を加えお伝えします。

 

この生徒は、

 

ikitanaka.hatenablog.com

 

にてご紹介した「シングルリミテッド」という状況にあり、障害があるかどうかのグレーゾーンであったお子さんです。

 

 

 

<「漢字を勉強させたいだけなのに」>

 

日本生まれ、日本育ちの中学生のAと、外国出身の親御さんとの2人暮らしで、
親御さんはAさんが4歳になるころに離婚。以来、シングルペアレントとして、親御さんにとって第2言語である日本語(会話はある程度できるが、読み書きができないレベル)で子育てをしてきました。


Aが公立小学校に在籍していたある日、学校側から特別支援学級への通級指導を勧められ親御さんは自分が家庭で教えることができない「漢字」の学習をAにさせる良い機会になれば、と考えそれを受け入れました。


しかし、実際には親御さんが考えていた「漢字の指導」はほとんど行われず、
また、通級を受けている他のお子さんたちの様子を見て、「障害ではない自分の息子がどうしてここで勉強しなくてはならないのか」という疑問が残りました。


学校とのコミュニケーションの難しさから、その状況は変わることなく小学校を卒業。


中学入学前にひっこしをし、別の市町村へ移ったこともあり
Aは普通学級の1年生として中学に入学しました。


Aが中学に入学してしばらくしたころ、親御さんは学校側へ「Aに漢字の練習をもっとさせたい、日本語の勉強がAには必要だ」というようなことを話しました。いわゆる「取り出し授業」や放課後の補習授業などを期待していたのだろうと思います。


中学校はこの親御さんの希望を、校内の特別支援学級に通級させる、という形でかなえようとしました。そしてまた、親御さんもそれを受入れ、Aは特別支援の通級指導を再び受け始めます。


その間、日本語が「ある程度」通じる親御さんに対して、面談時の通訳はほとんどつかなかったようです。


通級指導を受け始めて、やはり特別支援の通級指導が、親御さんが望んでいる「日本語教育」ではないことに気づき、学校に再度「Aには漢字の勉強をさせたいんだ」ということを申し入れます。


すると学校は、市内の別の中学校への転校を勧め、Aはそれまでの通級指導型から特別支援の固定学級がある中学校へ転校しました。

 

このケースでは
1)保護者の日本語での高度なコミュニケーションが難しいものの、簡単な会話は可能なため特別支援入級等の重要な局面であっても、通訳の必要性が認識されなかった。

 

2)このため、外国人保護者は「特別支援」がどのようなものであるか、完全には理解する機会を得られなかった。


3)シングルリミテッドであり、日本語の日常会話はネイティブ並みのAに対して、「日本語教育が必要」ということが学校側に認識されなかった

 

この3つの要因が作用し合い、常に学校側の対応に不満と不安がつきまとうものとなってしまいました。親御さんがAに日本語の教育を受けさせたいと願うたび、その想いとは食い違う対応がなされ続けてきたのです。

 

 

<その後・・・>

 

私たちが親御さんと出会ったとき、彼は学校に対する怒りの気持ちを抑えることはありませんでした。


何度か、望まない検査を受けさせられ、日本語による検査を実施した医師や臨床心理士から傷つくような言葉を言われたこともあった。私の子どもは障碍ではなく、日本語ができないだけなのに・・・と。

 

私たちも彼らの抱える問題をなんとかしたいと思い続け、一方で、具体的な解決策が見いだせないまま日々を送ってきました。その間にも、Aは現場で特別支援学級では学ぶ機会のなかった英語や数学などの新たな知識をどんどんと吸収し、基礎学力を上げてゆきました。

 

「やはりAは機能的な障碍ではない」
という見方が現場では大勢となったころ、ある方より、外国につながりを持つ子どもの言語発達の専門家のセッションを受けてみては、というお申し出をいただきました。


親御さんも、Aも、そのセッションを受けることを了承してくれて、バイリンガル読書力評価ツール(B-DRA)という手法を使って、Aの抱える問題が「ことば」にあるのか「機能」にあるのかをみていただきました。


長い時間でしたが、Aは導かれながら文章を読み、考え、物語を自分の言葉で伝えるという作業をやり遂げることができました。詳しい分析の結果でも、Aの抱える問題は、「機能的なものではなく、ことば=日本語の発達によるものだろう」ということが所見として提示されました。

 

Aはその時点ですでに中学3年生。

このセッションの結果を受けて中学校ですぐに普通級へということは時期的にも難しかったのですが、都立高校受験を希望するAにとって、特別支援出身ではあるが機能的には障碍はなく、一般の学校で学生生活を送ることができるという自信を得ることができ、無事に定時制高校への入学を果たしました。


もちろん、特別支援出身であるからと言って入試になんら影響することはないということは、中学校の先生からも説明を受けていたところですが、何度も何度も、本人と保護者が納得していない形で普通級と特別支援の間を行ったり来たりしたAですので、今後はそのようなことがないようにという意味で、このセッションが果たした役割は小さくなかったように思います。

 

 

<「特別支援が必要なのではないか」と思ったら・・・>

 

Aのように「障害ではない」ケースがあるとは言え、定められたカリキュラムに沿って授業を進めていかなくてはならない学校にとって、クラス内で行なわれる授業に著しくついていくことができない児童、生徒に何ができるのか、というのは大きな課題であると思います。

 

たとえば地域に1つでも外国にルーツを持つ子どもに関する専門機関があれば、そちらへ支援や情報を求めてみることもできますが、もし学校の先生方がその機関の存在をしらなかったり、そもそも支援機関自体がないような場合はどのような点に気をつけたらよいのでしょうか。

 

1)親御さんや本人が日本語が「話せる」ことに惑わされず、重要な局面では通訳をつける。

  加えて、文字情報を大切な部分だけでも翻訳しておくと、後から確認することもできて尚良いでしょう。

 

2)日本語が母語でないことで生じる、あらゆる可能性について検討する。

 

3)「特別支援」のシステムや内容、メリットやデメリットなど、「このくらいは知っているだろう」という前提を排除して伝える。

 

 

など、日本語ネイティブの親子への対応より、さらに丁寧な配慮が求められます。

 

本来であればプロセスのすべてに外国にルーツを持つ子どもたちの抱える課題や背景などに対する理解をもつ第三者が寄り添えるようなシステムや、広域での専門的なネットワークの整備など、体制を整えることが重要不可欠ですが、それが実現するまでの間にも、現場で苦しむ子どもたちがいることを考えると、現在こうした子どもたちと向き合う学校の先生方や、支援者の方々1人1人の理解と適切なアクションが求められると感じています。

 

私たちの現場では、外国にルーツを持つ子どもと関わる地域支援者および学校の先生や関係機関の方々からの電話やメールでの相談も受け付けております。

 

教材はどうしたらよいか

どのように日本語を教えたらよいか

外国人保護者とのコミュニケーションはどうしたらよいか

 

など、お気軽にご相談いただけます。

答えが出ない課題も多くありますが、ともに外国にルーツを持つ子どもたちにとっての最善を探して行けたらと思います。

 

お問い合わせ先:http://kodomo-nihongo.com

 

 

*個人が特定されるのを避けるため、必要な範囲での脚色を加えています。

*この記事では、本人も保護者も完全には納得していない状況で、
特別支援学級へ通級してきたケースについて書いています。
特別支援学級のあり方や、そこへ保護者も当事者も納得して通級されている方々について批判する意図はないことを申し添えます。