「外国にルーツを持つ子ども」って呼び方、何とかならないですかね。
この呼び方で広めちゃっていいのか、といつもやや不安に思う
今月のはじめ、都立高校出願の件についてつぶやいたツイートとブログをたくさんの方に拡散していただきました(ツイートインプレッションは30万超、ブログは約2万以上のpvでした)。
これだけ多くの方に「外国にルーツを持つ子ども」という単語が目に触れると、「それなに?」「聞いたことない」という層の方々からも反応をいただけて、今まで関心の無かった方々にアプローチできたことは、こうした子どもたちの課題の社会化を目指している身としてはうれしい限りです。
(Twitter上ではこんなやりとりも)
「外国にルーツを持つ子ども」とは、両親または親御さんのどちらか一方が外国出身者である子どものことで、国籍は問いません。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 5, 2016
よろしければ、こちらの記事を→https://t.co/FZa9dgRZT9@khiikiat
@khiikiat 本当におっしゃる通りです。マイノリティーにとっての障壁はマイノリティー自身ではなく、マジョリティーの側にある、と呼び方ひとつにも表れていると思います。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 5, 2016
@khiikiat ありがとうございます。ブレイクスルー、同感です。でも、一人でも多くの方々に知っていただくことも変化の推進力となります。こうしてお声がけ下さり、嬉しいです。今後も引き続きがんばります。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 5, 2016
このtwitterでのやり取りにも表れていますが、以前から気になっているのが「外国にルーツを持つ子ども」という言葉のわかりづらさ、伝わりづらさ、長さです。私自身は最近、情報発信に(自分的に)かなり力を入れていることもあって、子どもたちの課題が拡散され、たくさんの方に知っていただくこと自体は大歓迎なのですが、一方でこの「外国にルーツを持つ子ども」という呼び方をもって、それが広まっていくことに対して、100%の自信が持てない状況が続いています。(発信しておいてそれはないだろう、というのは重々承知しているのですが)
呼び方が、呼び方が、と方々で言っていたら、放送作家のきたむらけんじさんが「言語難民」という言葉を生み出して下さったのですが、言葉(およびその関連領域と環境)の課題に特化された名称という印象があり、外国にルーツを持つ子ども(こちらは存在やバックグラウンドをあらわすことが多い)という言葉そのものの代替として使用するとやや齟齬が出ることがありました。
先週、とある企業のコピーライターやディレクターの方々と外国にルーツを持つ子どもについていかに伝えるか、を短い時間一緒に考える機会があったのですが、そこでもこの「呼び方」について議論となりました。昨日登壇させていただいたとある分科会でも、やはり「外国にルーツを持つ子ども」という呼び方を含む、ネーミングの課題はあげられていました。いずれも、解となる新たな呼び方が生まれることはありませんでした。
現存する呼び方をマトリックスにまとめてみた
過去記事でもご紹介したことがありますが、「外国にルーツを持つ子ども」たちについてはこの呼び方以外にもいくつか関連名称があります。ただ羅列してもわかりづらいので、マトリックスにまとめてみました。
縦軸に、こうした子どもたちの支援に関わっている方などが呼ぶ呼び方と、あまり接点のない一般の方々や外国にルーツを持つ子どもたち自身が自らを指し示すときの呼び方を。横軸にはその存在、所属、バックグラウンドを主にあわらす呼び方と、言語的な状況について言及される際の呼び方を並べました。
まだおそらく全ては網羅できていない(あ、すでに「定住外国人の子ども」が抜けていました・・・これは右下、ですね)こと、マトリックス上の配置に対する異論や議論の余地はあるかと思いますが(もし不足やご意見ありましたら @iki_tanaka まで)、こうしてまとめてみてあらためて気付いたことがありました。
諸々の呼び方は、一般の方々だけでなく、当事者にさえほとんど浸透していないじゃないか!
外国にルーツを持つ子ども自身は、現場では日本にルーツがあれば自らのことを「ハーフ」と称することが多く、ダブルという言い方もあるよと紹介してもあまり定着してきませんでした。また、外国籍の子の場合や親御さん自身も「私たちはガイジンだから」と、ニュートラルな会話の中で使うことは少なくありません。
それはそこに含まれる意味合いを知らないだけ、ということもあるとは思いますが・・・少なくとも、「浸透している」という意味では、当事者と一般の方々にとってはハーフやガイジン、外国人は群を抜いています。
裏を返せば、全体から見るとごくごく少数の「支援者/関係者」だけが、「彼ら」を特殊な呼び方を持って切り分けている
と言えるのかもしれないな、と。
ためしに、うちの多文化コーディネーターでフィリピンにルーツを持っている若いスタッフに「この現場にくるまで、どこかで『外国にルーツを持つ子ども』って聞いたことがある?」とたずねたところ、「いや、まったく(きいたこと無かった)」と即答でした。
・・・ある特定の課題について、特定の呼び方をすること自体の意義は十分理解しているつもりです。であるからこそ、一般の方々はもとより、当事者にすら受入れられない(理解されない)のなら「マニアックすぎる呼び方はやめるべきでは」と思っています。
最近は、日本社会で成長し成人した「外国にルーツを持つ」若者も増えてきました。彼ら当事者層や支援者でない方々の意見や視点を中心に、あらためて呼び方の議論をしてはどうか、と考えています。(結構たのしそう!)
個人的には、台湾では移民のことを「新台湾人」と呼ぶことにならって、「新日本人」という表現がしっくりきますが・・・現実に即して「移民」と呼ぶのがわかりやすさと、すでに知名度があるという点では浸透率が高そうだなーと思いますが、みなさんはいかがですか?
追記
「新台湾人」、「新日本人」という表現について、ご指摘をいただきましたので共有します。
(新日本人、という表現について)
@han_org 教えていただきありがとうございます。確かにこれはもうすでに特定のイメージのついた言葉ですね・・・。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
@han_org 在日の方々自身にとって、抵抗感があったのですね・・・。それは当時、「帰化した以上は日本人になりたい(日本人でありたい)」と考えていたり、あるいは、マジョリティの一員として紛れ込むことで目立たず(差別等を避けて)過ごしたいと考えていたということでしょうか。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
@han_org @han_org ありがとうございます。よく理解いたしました。ご多忙のところご丁寧に教えていただき恐縮です。私の家族にもあらためて当時の様子や感覚についてたずねてみようと思います。(そしてもう少し自分のルーツについて学ばなくては、と改めて感じました)
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
(新台湾人という表現について)
@hituzinosanpo そうなんですね。ありがとうございます。新移民、ということは新しくはない、それ以前の「移民」という概念もあるのでしょうか。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
新台湾人が別の文脈の表現というところも、もしよろしければ教えていただけますか。
@hituzinosanpo ご教示ありがとうございます。以前、どこかで「新移民」に相当する方々のことを「新台湾人」と呼ぶ、という記載を見つけて、そのまま受け取っていました。新台湾人についての文献を見つけたので、読んでみます!
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
@hituzinosanpo そうなのですね。重ね重ね教えていただきありがとうございます!日本に暮らす、「外国にルーツを持つ」方々について、もし、(新移民という言葉などを踏まえて)こう呼んではというアイディアなどありましたらぜひご共有いただけましたら幸いです。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 15, 2016
いろいろな方より上記のようなご指摘や反響をいただき始めていて、自分の無知を反省すると同時に、みなさんと引き続き、「外国にルーツを持つ」の代替となる呼び方、なによりも当事者の方々が納得できるような表現について考えていけたらと思っています。
金先生( @han_org )、あべ先生 (@hituzinosanpo )にあらためて感謝。
都立高校定時制出願当日に、外国にルーツを持つ若者が小学校卒業証明の提出を突然求められた件の一部始終と、東京都教育委員会の方への心からのお願い
2月4日、スタッフからの連絡にわが目を疑う
外国にルーツを持つ若者の高校進学をサポートし続けて6年。
日本語を母語としない子ども・若者の都立高校進学が狭き門であること、このブログでもお伝えしてきましたが、当スクールにやってくる生徒の多くは、他に選択肢が持てず、定時制高校がその進路になります。
周辺には4校の定時制高校があり、うち3校では、当スクールからの”卒業生”を含め、少なくない数の外国にルーツを持つ若者が学んでいます。(ご高齢の方の学び直し目的での通学はあまり多くありません)
今年もスクールから6名の生徒が都立X高校定時制に出願することになり、2月4日の夕方、多文化コーディネーターの引率で出願にむかいました。
私はその時、別の場所にいたのですが、スタッフからの連絡で6年の支援期間の中で初めての事態が発生していることを知り、わが目を疑いました。信じがたい出来事に、連続で状況をツイートしたところ、多くの方が関心を持って下さり、助け舟のお申し出もいただきました。
その時のツイートがこちらです。
外国にルーツを持つ若者の進学支援で都立定時制高校の出願に付き添ったスタッフから連絡。出願しようとしたら中国、フィリピンにルーツを持つ生徒に対し、小学校の卒業証明を出すよう求められたと。出願前の事前相談では何も言われておらず、当日に突然の要求。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 4, 2016
こんな事は初めてで驚いています。
しかも都教委に電話で確認を取った上での要求、と言うことなので、東京都全体で同じ事が行われている可能性があります。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 4, 2016
出身国の中学校卒業証明だけではその前はわからないから、と言う理由。要項にも記載のなかった書類を急に求められ、外国から取り寄せとなれば出願には到底間に合いません。
都立高校の出願に、中学校卒業証明があるのにも関わらず小学校の卒業証明をさらに求めるとは、就学拒否なのかとすら思える。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 4, 2016
にわかに信じ難く、驚きすぎてたくさんツイートしてしまうくらいだ。明日、スタッフに詳しくヒアリングしてから必要な対応を取りたい。
— 田中宝紀-IKI TANAKA (@iki_tanaka) February 4, 2016
外国にルーツを持つ子どもの進学率は、東京都では概ね60〜70%にとどまっていると推測されている。これ以上、彼らから教育の機会を奪わないでほしい。
結果からお伝えすると、小学校卒業証明を求められた生徒とそうでない生徒がおり、小学校の証明を求められた(そして当然、出願書類としてその場にはそれを持参していなかった)生徒も含め、すったもんだの末、出願は受理されたそうです。
(不幸中の幸いです)
(*2つ目のツイートで、『要項にも記載のなかった書類を急に求められ』と書きましたが、『小学校卒業証明が必要』との記載がなかった、という意味で、誤解を招く書き方だったかもしれません。この点お詫びします)
昨晩は引率したコーディネーターから詳しい様子を直接聞くことができなかったのですが、今朝、あらためて確認したところ、以下のような状況だったそうです。
2月4日に都立X高校定時制出願窓口で起きたこと(スタッフからのヒアリングに基づく)
当日、外国にルーツを持つ生徒6名を引率しスタッフが当該高校窓口へ。このX高校定時制には、当スクールから毎年5名前後が入学してきた関係の深い高校です。
日本の中学校に在籍している生徒2名は日本の公立中学校からの書類のみで問題なく受理。その後、9年間の教育課程を中国で終了し、中国の中学校卒業証明を持って出願した2名の中国籍の生徒(Aさん、Bさん)の書類が受理されました。
続いて先のAさん、Bさんの書類を確認した担当者とは別の担当者に出願しようとしたフィリピンにルーツを持つ日本国籍の生徒(Cさん)と中国籍の生徒(Dさん)が、Aさん、Bさんと同様に出身国の中学校卒業証明書類とともに出願しようとしたところ、これでは9年間を修了したことが証明できないので、小学校の卒業証明が必要だということを言われました。
都教委は確かに都立高等学校応募資格審査取扱要項( http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/28boshu/sankou4.pdf )という書面の中で、「外国において9年の課程が修了したことがわかる卒業証明書等」の提出を、外国で教育を受けてきた外国人に求めています。一方で、外国にルーツを持つ子どもたちの高校進学を支援して6年間。定時制高校出願時に小学校卒業証明を求められた生徒はこれまでに1人もいませんでしたし、今年も事前相談にX高校へ行った際に、Cさんはフィリピンの中学校卒業証明を学校側に提示し、「これで大丈夫です」との回答を得ていたところでした。
にも関わらず、出願当日になったて、たまたま書類を受け取った担当者の判断次第で「9年修了の卒業証明」に必要な書類の内容をその場で変えるという属人的な対応がなされた、という事態でした。
今回出願した生徒たちは、たまたま私たちの現場のスタッフが付添い、「それはおかしい、同じ書類でAさん、Bさんはすでに受理されている」と抗議したことで出願受理となりましたが、これがもし外国にルーツを持つ生徒と外国人保護者のみでの出願時であったら、その生徒は出願を無理だとあきらめてしまうことになりかねません。(日本以外の国から学校関係の証明書を取り寄せるとなると、国によっては長い時間を要する場合があり、今日、明日で準備できるものではありません)
「9年の教育課程を修了した証明」に中学卒業証明では不十分とはこれいかに。
この一言につきます。
ちなみに、全日制高校を受験する中国籍の生徒が、中国の小学校の卒業証明を求められた経験はあります。この時は少なくとも出願の前にはそのことがあきらかになっていました(国によって対応を変えるのもおかしな話ですが)。ただ、周辺の定時制高校にあっては、今回初めてのケースであり、また、X高での事前相談時には中学卒業証明で十分であることが確認されたうえでの事態です。
東京都教育委員会は、「9年修了の卒業証明書」の定義についてあらためて見直す必要があるのではないでしょうか。
万が一、今後も「どこの国で教育を受けてきたか」で提出する書類が変わるのであれば、事前に、その国の方々が理解できる言語で、そのことをはっきり明記すべきですし、ましてやその対応が、同じ学校内において担当者1人の判断でイエスにも、ノーにもなることがないよう、適切な入試システムの運用を切にお願いしたいところです。
外国にルーツを持つ若者の高校進学率は、大阪や三重など、こうした子どもたちに対して「人権」の観点から対応を行っている自治体では90%をゆうに超えているにも関わらず、東京都ではいまだに60~70%程度であると推測される後進ぶりです。
これがグローバル化にまっさきに対応せんとする”国際都市TOKYO”のあるべき姿であるとは思えません。今回の件は、X高校の窓口のご担当者1人の判断によって、外国にルーツを持つ生徒の人生を大きく左右する可能性があったことや、蛇足ですが、2020年のオリンピックで大活躍するかもしれない「バイリンガル都民」の卵を潰してしまうかもしれなかった対応であったこと、東京都教育委員会の方々にはぜひご認識をいただければと思います。
日本語がわからない子ども、「この学校に1人だけ」43%-外国人散在地域の子どもの日本語教育をどうすべきか考えた
日本語がわからず「お客さん状態」は子どもにも先生にもつらい
外国人散在地域、という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
「がいこくじんさんざいちいき」と読み、外国人が多く集まっている外国人集住(しゅうじゅう)地域と対を成す言葉です。(詳しくは過去記事を)
このブログでも何度も取り上げている文科省による調査「日本語指導が必要な児童生徒の受入状況に関する調査」平成26年度版によると、日本語指導が必要な外国人児童生徒がその学校に1人だけ、という「1人在籍校」の割合が最も高く、43.7%に上っています。(下図は同調査より抜粋)
ちなみに、日本国籍の日本語指導が必要な児童生徒の場合、1人在籍校の割合は全体の52.9%です。
日本語がわからない子どもが学校に入学、転向してきたけれど、他にそういう子どもは在籍しておらず、自治体全体でも数名しかそういう子どもがいない、という状況が外国人散在地域には多く見られます。
自治体単独では予算も人材も確保できない中、外国にルーツを持つ子どもがただただ毎日学校で机に座っている「お客さん状態」となっている現状。子どもにとっては本当につらいだろうと思います。そして、そうした状況がクラス内で発生してしまった担任の先生の不安や戸惑いも大きいだろうと思います。
今検討されている「拠点校方式」のコストが気になる
文科省で行われている学校における外国人児童生徒等に対する教育支援に関する有識者会議では、現在、拠点となる学校を設けて、そこから指導教員を派遣する案が浮上していると西日本新聞が記事を出していました。
たしかに、記事にあるように拠点校方式は1つの妥当な解決策ではありますが、たとえばA校、B校、C校、D校と距離の離れた学校にそれぞれ1人ずつ、日本語がわからない子どもがいて、1日のうちに1人の先生が指導して回るとなると移動時間にコストがかかったり、1人あたりの支援時間数が短くなりそうで、単純にもったいない。
そして小学校低~中学年程度なら1対1で短時間に個別指導を受け、あとの時間は教室ですごしたくさんの日本語に触れる、という方向性は「耳で聞いて覚える(自然習得)」ことができる時期として有効だと感じますが、一方で、外国語を自然習得できる年齢には限界があることが指摘されています。おおむね、10才前後。これを過ぎると、体系的に積み上げていく方が一定の成果が見られるというのは、現場の支援経験からもある程度正しいものだと考えています。
となると、おおむね10才を過ぎた子どもに対しては、一定期間日本語教育を集中的に実施する「初期指導」を行った後に学校へ通い、個別の補助指導等を各学校で週に数時間行う方が支援にかかるコストや効果(子どもの日本語能力の向上)は高いのではないか。
「逆拠点校方式」はいかがでしょう?
つまり、拠点校方式であっても、移動すべきは指導者ではなく子どもたちで、たとえば送迎車を導入する等で子どもたちを拠点校に集め、初期的な日本語教育を短期集中で行うという逆の方向性も検討されるべきではないか、と感じました。
さらにこの「逆拠点校方式」とも言える方法にはもうひとつメリットがあって、それは「同じ境遇にある外国にルーツを持つ仲間と出会い、短期間であっても共に学べる」という点です。同じ母語の子どもがいれば、情報交換をしたり、母語でおしゃべりをするだけでも精神的に安心することができるでしょうし。
(ちなみに拠点校すら設けられない、逆拠点校方式も実現できない、という場合に備えて、今、無支援状態の外国にルーツを持つ子どもにICTを活用して支援を届ける事業の準備中です。興味のある方は info@kodomo-nihongo.com まで御連絡を)
支援者が子どもの母語を話せる必要、ありませんから!
そしてさらに言及しておきたいのが、この西日本新聞の記事中にあるような
「 子どもの母語が増えれば増えるほど、その母語を話せる人材を探さなくてはならなくて大変だ」というのは誤った認識です。
なぜなら、日本語教育の専門家であれば「直説法」という「日本語を使い日本語を教える」という技術を有するからです。この間違った認識を正さない限り、
『「外国にルーツを持つ子どもへの対応」=(イコール)その子どもの母語がわかる人材が必要=(イコール)とてつもなくお金がかかる(だから無理)』
という無根拠なあきらめにより、子どもに何の支援もなされない状況が発生する現状は変わりません。
大切なことなので、もう一度いいます。
「 子どもの母語が増えれば増えるほど、その母語を話せる人材を探さなくてはならなくて大変だ」というのは誤った認識です。
なぜなら、日本語教育の専門家であれば「直説法」という「日本語を使い日本語を教える」という技術を有するからです。
そしていかに子どもの母語が多様であっても、集団授業ができるスキルも持っています。「○○語の子どもが転向してきたけど、母語を話せる人がいないから何もできない」と思っている方がいたら、ぜひそれは間違っていることを伝えてください。
餅は餅屋へが正解
ここから先は心の叫びですが・・・
日本語教育の専門家が介在しない中途半端な支援を実施しようとすると、いたずらにコストが嵩み、支援を長期化させ、外国にルーツを持つ子どもにとって不利益となるだけでなく、地域全体にとってもマイナスをもたらす可能性があります。
「餅は餅屋」
という言葉がありますが、特に子どもの日本語教育は専門的な知識と技術と経験を必要とする領域です。
「学校の先生の力」や「地域の方々」の支援は、その専門領域の外側(「宿題のサポート」や「基礎学力の向上」など)を支えるために活用すべき力であり、日本語教育のど真ん中を担い得るものではないのだ、と。
なんだかいろんな方から怒られそうな記事になってしまいましたが、私の心からの実感を持って、力説したいところです。
外国籍受験生に関わる2016年都立高校入試の変更点3つ
遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
外国にルーツを持つ子ども・若者支援の現場では、毎年1月、2月は都立高校受験を控える受験生たちの追い込みに追われます。特に15歳以上で来日し、日本の中学校に在籍していない受験生たちにとっては、この一年間、日本語をゼロから学んだ後、日本語で数学や英語の入試問題を解くためのトレーニングを繰り返してきました。
(スクールの受験生の様子。徐々にぴりっとした雰囲気に)
日本語を母語としない子どもたちの都立高校進学が制度的に厳しい現状は過去記事にも書いてきましたが、今年度の入試(2016年4月入学)より、いくつかの制度変更があり、特定の要件を満たす生徒にとっては、少しハードルが下がっています。
この記事では主に「外国籍」で、「日本に入国して3年以内」の、都立高校進学を目指す外国にルーツを持つ受験生(”在京外国人生徒”)にとって、関わりのある特別な措置についてまとめます。
4月から都立高校入学を目指している外国にルーツを持つ生徒さん(特に海外で9年以上の教育課程を修了して受験する15才以上の若者)や、支援者の方々は出願まで2週間となった学校もありますので、要チェックです。
変更点1:在京外国人枠のある高校が増えました
在京外国人生徒(外国籍、来日3年以内)のための特別入試を行っている都立高校は、昨年度まで3校のみでしたが、今年度の入試から2校増え、以下の計5校になっています。
<表:在京外国人生徒対象入試を実施する都立高校>
いずれも、東京の23区にあり、多摩地域に暮らす外国にルーツを持つ生徒にとっては通学時間と交通費の負担が可能かどうかということが大きなポイントです。
(現場のある東京都福生市からは、もっとも近い高校でも1時間30分程度かかり、遠いから、と諦めてしまう外国にルーツを持つ生徒も少なくありません・・・)
変更点2:辞書の持ち込みと試験時間の延長が可能に
これも「外国籍」で「来日3年以内」の制約付きですが、これまで試験問題へのルビ振りのみだった特別措置が、緩和されました。これは生徒によっては大きな配慮となります。
<図:都立高校入試Q&A(http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/pickup/p_gakko/28boshu/12.pdf )
より抜粋>
ちなみに、持ち込む予定の辞書は書き込みの有無等のチェックのため、事前に受験する高校の出願時に提出しておく必要があります。また、試験時間の延長は10分間となりますので、いずれにせよ事前に模試などで対策をしておきましょう。
*この特別措置は、来日3年以内の外国籍の方であれば、どの都立高校を受験する際にも申請が可能です。
変更点3:特別措置申請者以外は解答用紙がマークシート方式に
今年度の都立高校入試から、一部を除いて、解答用紙が原則としてマークシート方式になりました。(数学の証明問題、英作文などはこれまで通り記入します)
ただ、変更点2で挙げた、外国籍・入国3年以内の受験生が『ルビ振り、辞書持込み、試験時間延長』の特別措置を申請した場合は、解答用紙はマークシートにはなりません。
<図:東京都教育委員会 「『サンプル解答用紙』を使って都立高校入試に向けた準備をしましょう!」 より抜粋>
自分がマークシート方式になるのか、そうでないのかを確認し、いずれにしても何度か解答用紙を使って練習をしておきましょう。
マークシート方式の解答用紙を使用する方は、東京都教育委員会のホームページ内ににサンプルが掲載されていて、ダウンロードして練習することができます。
ちなみに、昨年度の過去問にもマークシート方式のサンプル解答用紙がつけられていますので、こちらも活用してください。
おわりに:わからないこと、あいまいなことは直接確認!
これまでに106名の外国にルーツを持つ生徒の高校入試をサポートしてきました。出会った生徒の中には、高校入試について、同郷出身者から聞いたあいまいな、誤った情報(外国人は受験できない、など)で立ち止まってしまっているケースもありました。
あるいは、本当に残念なことですが、日本人支援者(または中学校の先生)による不正確な情報や進路支援に振り回され、親子で疲弊しているケースもありました。
現在、東京都では英語版、中国語版、韓国語版の受験案内も作成しホームページ上で公開していますし、外国にルーツを持つ親子のための進学ガイダンスを主催している各団体でも正確で必要な情報を得ることができますので、ぜひアクセスを。
(もちろん、当スクールもご相談を受け付けていますので、ぜひ)
入試まであとわずかとなりました。
全国に暮らしている外国にルーツを持つ受験生全員が、希望にあふれた春を迎えることができますように!
2015年もっとも印象に残った外国にルーツを持つ子ども・若者関連ニュース
2015年も残すところあとわずか。
今年2015年、仕事収めの今日(12月28日)、あらためて外国にルーツを持つ子どもたちや若者に関するニュースのうち、印象に残っているものをご紹介して、終わりたいと思います。
<1.教育関係のできごと>
●「虹が消える・・・」-文科省虹の架け橋教室終了
2015年2月、リーマンショックの余波を受けたくさんの外国にルーツを持つ子どもたちがブラジル人学校等に通えなくなった事態の緊急対策として、2009年より実施されてきた「定住外国人の子どもの就学支援事業」(通称:虹の架け橋教室)が終了しました。その後、「定住外国人の子どもの就学促進事業」として自治体が主管となり、それまでNPO等へ全額拠出していた補助金を、自治体が3分の2を負担し、国が3分の1を負担する形式に改められました。
これに伴い、それまで虹の架け橋教室を運営してきた団体の中には教室を閉鎖するに至った事例や、時間数・規模を縮小せざるを得なかったケースもある一方、新しい枠組みでスタートした事業を受託する自治体も限られており、外国にルーツを持つ子どもの教育環境に、一層の自治体間格差が生じました。
同省の2016年度予算案では当該事業が組み込まれている「帰国・外国人児童生徒等教育の推進」のために2千万円の予算を増やしています。
●外国人児童生徒等教育支援のための有識者会議開催
前回のエントリーでも書きましたが、2015年11月に文科省において「学校における外国人児童生徒等に対する教育支援に関する有識者会議」が開催されました。会議では今後、来年の6月までの間に、学校における外国人児童生徒等に対する日本語指導体制の整備や、日本語指導に携わる教員や支援者の養成・確保、指導内容の充実、外国人の子どもの就学、進学、就職等への対応について等の諸課題が検討される予定です。
報道では、日本語ができない子どもの教育について「国が対策に乗り出した」との表現がありました。日本語指導が必要な児童生徒の増加に伴う危機感が土台となり、国として外国にルーツを持つ子どもたちの教育をどう保障して行くのか、責任と予算と実効性を伴う議論となることに期待を寄せています。
<2.自然災害に関するできごと>
●ネパール大震災を受けて、在日ネパール人の子ども・若者が支援呼びかけ
2015年4月25日にネパールで発生したM7.8の大地震では多くの方々が犠牲となりました。日本では近年新たに来日するネパール人が増加し、ネパールにルーツを持つ子ども・若者も増えています。こうした在日ネパール人の方々が、大地震発生後に募金活動などを行った様子などがメディアでも多数報じられましたね。
私たちの現場にもネパールにルーツを持つ子ども・若者が多く在籍していますが、彼らが中心となった募金活動を実施した他、周辺地域に暮らすネパール人の若者たちが追悼集会を開催し、数百名が参加するなど、ネパールコミュニティの存在を感じたできごとでもありました。
ネパールの復興はまだまだこれから。息の長い支援が必要ですね。
●鬼怒川決壊水害でブラジル人学校生徒半数被災
今年9月上旬に発生した関東・東北水害で、もっとも大きな被害を受けた地域のひとつ茨城県常総市には、約2,000人のブラジル人が住んでいます。ブラジルにルーツを持つ子どもたちが通うブラジル人学校も、生徒の半数の家庭が被災したとのことでした。
常総市のブラジル人学校、エスコーラ・オプションでは水害発生より3週間足らずで学校が再開され、そこに通う100名以上の子どもたちにとって、日常を取り戻す足がかりとなったのではないでしょうか。
この水害でも、防災無線の日本語がわからなかったり、避難所で言葉の壁に苦労したりなど、災害時に日本語を母語としない方々とどのように助け合って行くべきか、課題が再び浮き彫りとなりました。私たちもあらためて、地域の数少ない外国にルーツを持つ子どもの支援機関として、災害時にどう対応するかを考えさせられました。
<3.芸能関係のできごと>
●外国人タレント、 ”ハーフ”タレントの活躍
昨年からもその傾向はありましたが、2015年は本当に外国にルーツを持つタレントやモデルさんなどの活躍がめざましい一年だったな、と思います。テレビの世界ではこれまでどちらかというと欧米にルーツのある方々の活躍が目だっていたように思いますが、近年はアジアにルーツを持つ方の活躍も増え、「○○がフィリピンへ”里帰り”」と言った企画も目にするようになりました。(”里帰り”が正しい表現かどうかは問題あり、ですが・・・)
中には、差別的な言動を受けたことやいじめの体験などをテレビを通して伝えてくださる勇気ある外国にルーツを持つタレントさんもいらして、彼らのような著名な方々が体を張りながら道を切り拓いてくれているようにも感じています。
一方、テレビの外側では外国にルーツを持つ方々に対するヘイトスピーチ、SNS上での嫌がらせなどは相次ぎ、あろうことか、子どもに対してもその刃が向けられている状況で、今、日本の社会ではこれまでの「単一民族」幻想が崩れ落ちることに対する恐怖と期待が同時に渦巻き、揺れ動いている狭間にいるのだろうか、とも思う一年でした。
●ミス・ユニバース日本代表宮本エリアナさんの存在
今年、印象に残った最後のニュースは、ミス・ユニバース日本代表に、”ハーフ”としてはじめて選ばれた宮本エリアナさんのこと。彼女が「私は日本人」と言い切る姿や、”ハーフ”の友人の自死をきっかけにミス・ユニバースへチャレンジすることで人種への偏見や差別をなくしたい、とがんばる姿が本当に印象的でした。
彼女のように、アフリカにルーツを持つ子ども・若者は、特にその容姿についていじめや差別を受けることが多いように感じます。ありのままの自分が社会から受け入れられないことの悲しみや悔しさや理不尽な想いは子どもたちの中に降り積もり、大きく傷つけられることも少なくありません。
当事者である宮本さんが訴える姿は、こうした子どもたちの心の傷を少し癒したかもしれません。勇気を与えたかもしれません。けれど、本来ならば当事者が声を上げる以前に、日本社会の大人が人種やルーツによる差別や偏見に気づき、変えていかなくてはならないのではないでしょうか。第2、第3の宮本さんの登場を待っているだけではいけないのだ、と、今年を振り返りながら改めて1人の大人として努力をしなくてはならないと思っています。
<おわりに>
今回、2015年の1年間をまとめるにあたって、取り上げるかどうか迷った出来事があります。それは、今年2月下旬に神奈川県川崎市で起きた、当時中学1年生の上村遼太君が多摩川の河川敷で殺害された事件です。
つい2日前、日刊スポーツで事件について書かれた記事が出ていました。
あの事件は、本当に衝撃が大きく、悲しくて苦しくて、たくさんの事を考えさせられました。当時私が書いたブログ、
には数万件のアクセスがあり、6千回以上シェアされるなど大きな反響がありました。それはおそらく、私が書いた記事が大半の記事やニュースとは異なり、亡くなられた上村君やそのご家族ではなく、リーダー格であった少年の立場に立脚したものであったからです。
外国にルーツを持つ、というだけで擁護する気はない。かと言って、そのリーダー格の少年の背後にある(可能性のある)ことを誰一人言及せずに、あの事件が人々の記憶から消えてしまう事は避けたい。そう思い、悩んだ末に書いた記事でした。
私は2015年、外国にルーツを持つ子ども・若者が直面する困難をを社会化することをミッションに掲げ、これまでにないくらい発信に力を入れてきました。そのミッションはまだ達成できないけれど、あれから10ヶ月が経過し、人々の記憶が薄れ始めたように見える今、あらためて事件を思い起こしながら、2016年も再び、外国にルーツを持つ子どもや若者たちがおかれている現状や課題をしつこいくらいに伝えていこうと決意しています。