NPO法人青少年自立援助センター/YSCグローバル・スクール/田中宝紀 (IKI TANAKA)

NPO法人青少年自立援助センター定住外国人子弟支援事業部統括コーディネーター/ 東京都福生市にて外国にルーツを持つ子どもと若者のための教育・自立就労支援事業運営を担当。Yahoo!ニュース個人オーサー。2児の母。

日本には外国籍の親と同居する子どもが183万人暮らしている、という事実。

今朝、FMラジオ局J-WAVE81.3にて、俳優の別所哲也さんがナビゲートする「TOKYO MORNING RADIO」のコーナー、THINKING NEW STANDARDに電話出演させていただきました。

 

 

5分間と言う短い時間でしたが、海外にルーツを持つ子どもたちの現状をお話させていただいたところ、別所さんが、こうした子どもたちや外国籍の方々と「一緒にどう地域を育んでいくのか」が大切だと言う視点を提示してくださり、まさにそのとおりだな、と思いました。

 

番組の中で、東京の人口が1,300万人でそのうちの40万人、32人に1人が外国人の方であることが紹介されていました。別所さんが最後、「あなたの隣にも」とおっしゃっていましたが、まさに私たちの「隣人」として、外国人の方々の存在は珍しくなくなってきたことを、私自身も生活の中で実感します。

 

<時代は変化している>

さて、32人に1人、という数字が出たところで、「海外(外国)にルーツを持つ子ども」はどのくらいいるのか、を改めて、入手可能な限り最新のデータで計算してみたのでご紹介します。

「海外にルーツを持つ子ども」は、外国籍の子どもだけでなく、保護者のどちらか(または両方)が外国出身者である日本国籍を持つ子どもも含まれるため、その正確な数を把握することが長年の課題でしたが、国勢調査のオーダーメード集計が可能となって以降、以前より実態に近い数が把握しやすくなってきました。

 

ちなみに、ご紹介するデータの元となったのは、過去記事でもたびたびご紹介している岡山大学大学院の高谷先生らがまとめて下さった『2010年国勢調査にみる外国人の教育 ――外国人青少年の家庭背景・進学・結婚――』岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第39号 (2015.3)です。

 

この論文の中に掲載されている以下の表(p41)に掲載されているのは「親の国籍別、55歳未満の父/母と同居する子どもの数」です。

 

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ここに掲載されている55歳未満の父/母と同居する子どもの数をすべて足し算すると、その数は23,594,347人で、このうち【同居する両親が日本人の子】は、21,767,274人です。

全体から日本人の両親と同居している子どもの数を単純に引き算すると、2010年現在で、1,827,073人【同居する親の両方またはどちらか一方が外国人である、海外にルーツを持つ子ども】であると言えます。

これは全体の2.2%にあたります。

 

どうでしょうか?

 

意外と多いなあ、と思った方が多いのではないかでしょうか。

日本は閉鎖的、日本は単一民族国家、というような発言が今でもSNSを中心に散見されますが、はたして本当にそうなのでしょうか。

時代は確実に、変化を遂げつつあることを、この183万人の子どもたちは示しているのではないでしょうか。

 

<「新しい日本人」>

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話しは少し変わりますが、先日、3歳の娘の七五三の写真を撮影しに、某「不思議の国の写真スタジオ」に行ってきました。きれいな着物を着せてもらい、鏡を見ながらまんざらでもなさそうな娘を眺めながら、「ああ、彼女は”日本人”なのだな」とぼんやりと思いました。

 

(私自身は海外にルーツを持ちながらも、日本国籍を持ち、日本語を第一言語とし、日本人としてのアイデンティティを確立しています。自分の子どもに対しても特に「あなたは日本人だ」とか「海外にルーツが有る」というような価値観を教育することはなく、ごくごく自然に子育てをしていたら、子どもは自然と「日本人」的な方向に育っている、という感じです。)

 

娘が写真を撮影してもらっているスタジオのすぐ隣では、フィリピン人のお母さんと、その娘さんが、同じく七五三の着物を着ておすまし顔で撮影してもらっていました。

 

ネオンカラーの斬新なデザインの着物が、褐色の肌の女の子にとてもよく似合っていました。フィリピン人のお母さんも、娘さんの晴れ姿をうれしそうに見守っていて、その姿がとても自然で印象に残りました。

 

撮影終了後、そのフィリピンにルーツを持つ親子と着替え部屋が同室になったのですが、その娘さんが、私の娘と並び立ち、お互いの顔をみながらちょっと照れつつ、にこにこしている姿を見て、ああ、この子達は2人とも「新しい日本人」なのだな、と感じました。

国籍や肌の色や目の色がどうであれ。

 

以前、過去記事

 

ikitanaka.hatenablog.com

 

でも少しだけお伝えしましたが、台湾では移民の方々のことを「新台湾人」と呼ぶのだそうです。

人に古いも新しいもないのですが、もしこれまでの日本人の方々の特徴が「閉鎖的」であることや「単一民族的マインド」や「島国根性」にあるのだとしたら、海外にルーツを持つ子どもたちや、そうした子らと幼少期から「当たり前」に過ごしている現代の子どもたちは、「新しい日本人」としてのマインドや文化を、伝統的な文化や価値観という土台の上に、おのずと育んでいるのではないかな、と感じています。

 

そのことがもたらす影響(ポジティブにせよ、ネガティブにせよ)を垣間見ることができるのは、十年以上先になるのでしょうが、グローバル化が進み、「国」という枠組みが揺らぎつつある現代で、こうした「新しい日本人」となる子どもたちの存在は、かけがえのないものとなるのではないでしょうか。

 

「血の”純粋”さ」や「国籍」や「見た目」にこだわりすぎると、大切なことを見失い、なくしてゆくのではないか。そんな危機感を持って過ごしています。

 

*追記

以前、外国籍の親と同居する子どもは全体の7.7%、とお伝えしましたが、掲載違いを出典データ執筆者の鍛冶到先生よりご指摘いただき修正しました。

正しくは、1-{(21,767,274+123,600+1,195,732)÷23,594,347}=2.2%

 です。

お詫びして訂正いたします。

「全日制に行けるなんてすごい!」の現実-日本語を母語としない子どもの高校進学

今朝、ツイッターのタイムラインで流れてきた2015年9月22日、毎朝新聞の神奈川版の記事リンクにこんな見出しが・・・

高校進学:14年度公立中「国際教室」卒業、外国人の全日制進学率47% 「在県枠」条件厳しく 近くの定時制を受験 /神奈川

http://mainichi.jp/edu/news/20150922ddlk14100041000c.html

 

ぱっと見たときに、「全日制に47%”も”進学できるのか!さすが神奈川県」と思いました。

 

これまで日本語を母語としない子どもたちの言語教育環境は、自治体によって大きな格差があることをお伝えしてきましたが、その中でも環境が比較的整備されている地域は日本の西側に多く、愛知県や静岡県など、もともと日系ブラジル人が多く暮らしてきた地域が「先進地域」となっています。

 

逆に、取り組みが不十分な「後進地域」の多くが、日本の東側にあり、東京もその「後進地域」に含まれます。その中でも、神奈川県はもともと海外の方が多いこともあり、横浜周辺を中心に日本語を母語としない子どもたちや海外にルーツを持つ住民へのサポートが東京と比べると充実しています。(神奈川の方は「まだまだ」とおっしゃいますが・・・)

 

冒頭にご紹介した毎日新聞の記事、

15年3月に国際教室を卒業した全生徒251人の進路を調査した。公立校への進学率は全日制47%(119人)、定時制29%(72人)。外国人と日本人生徒を合わせた全日制進学率63%、定時制3%と比較すると、外国人が全日制に進学することが困難な状況がうかがえる。

 とのことで、日本人をあわせた全体の数値と比べ、国際教室卒業生の全日制高校進学率が低いことを問題視する記事ですが、東京の西側で子どもたちを支援してきた私たちにとっては、全日制高校に半数近くもの生徒が進学できていることに、「さすが神奈川」と驚かされたところです。

 

<なぜ日本語を母語としない子どもの「全日制高校進学」が難しいのか?>

高校入試制度は都道府県単位で大きく異なるので、一概には言いづらいところがありますが、いくつか理由が挙げられます。

 

1)外国人生徒を対象にした入学者選抜の有無が自治体により異なる

愛知淑徳大学の小島祥美先生が平成22年に発表した調査(「2011年度外国人生徒と高校にかかわる実態用さ報告書(全国の都道府県・政令都市の教育委員会+岐阜県の公立高校から))によると、調査回答のあった59の教育委員会のうち、外国人生徒を対象にした入学選抜が有る、と答えたのは全日制高校で16箇所、定時制高校で10箇所でした。

 

また同調査によれば、外国人生徒を対象にした入試特別措置が有る、と答えた自治体は全日制高校で30、定時制高校で29箇所、という回答でした。

 

 

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外国人生徒を対象にした入学選抜も、入試特別措置も何もないという自治体も複数あり、あらためて地域間格差の大きさを思い知らされました。(この調査は2011年度時点のものなので、現在の状況は異なる自治体もあります)

 

*試特別措置の内容は自治体により異なりますが、

・試験時間の延長(10分程度)

・辞書の持ち込み

・漢字へのルビ振り

などが一般的です。このほかに、受験教科の限定(理科、社会は免除など)などの措置を行っている自治体もあります。

 

2)「外国籍」と「来日後3年」の壁

→多くの自治体で、「外国籍を有している」ことと、「来日後3年未満」であることが外国人等を対象とした入学選抜や入試特別措置を受けるための条件となっています。

つまり、日本国籍を有する日本語を母語としない生徒は、来日が3年未満であって日本語ができなかったとしても、この枠組みを利用することはできません。

一方で、文科省の調査でも明らかになっていますが、日本国籍を有しながらも日本語指導を必要とする児童生徒の数は増加傾向にあり、現場でも「外国籍でありさえすれば全日制にいけたかもしれない」という生徒は1人、2人ではありません。

 

また、学校での勉強や抽象的な概念獲得などに必要となる「学習言語」と呼ばれる言語領域は、日常会話と異なり、習得までに5~7年を要するといわれていて、来日後3年未満で、何の特別な措置もなく日本語を母語とする生徒と同じ土俵で入試を受けることは、とても困難です。

 

3)高校進学に関する適切な支援へのアクセスがない

過去記事 

ikitanaka.hatenablog.com

 にも都立高校を受験する15歳前後の子どものことを中心に書きましたが、日本語を母語としない子どもたちの高校進学率(全日、定時あわせて)は50%前後といわれています。

こうした進学率の格差が生まれる要因の一つは、適切な支援と情報へのアクセスが極端に限られていることです。

 

私たちの現場、東京の西側、多摩地域では適切な支援機会が不足し、入試制度上の配慮も少ないことから、日本で生まれ育ったお子さんですら全日制高校への進学は「厳しい」ことが少なくありません。

 

そういう意味では、先にご紹介した神奈川県の状況は、「国際教室」という適切な支援につながった子どもが、制度的にもある程度配慮された状況であれば、そのうちの50%は「全日制高校」に進学ができる、ことを示しているともいえるのです。

 

<私たちが『「全日制高校」に行ってほしい』と願うわけ>

私たちの現場で支援を受けた子どものうち、97%以上が高校に合格します。一方で、全日制高校に合格できるのは、外国籍・来日3年未満の用件をクリアした子どもか、幼少期に来日し、家庭内の環境が安定しているなど、ごく限られた子どもたちです。

以前、定時制高校にかかわりのある方から「定時制高校に行くことが悪いような表現は避けてほしい」と言われたことがあります。もちろん、定時制高校のほうが合う子どももいますし、学校によっては非常に手厚い支援を、日本語を母語としない生徒に用意して下さっている学校もあります。

それでも私は、定時制が「最適」という状況でない子どもたちは、可能な限り全日制高校に行かせたい、と考えています。

その理由の1つが、中退率の高さです。

これまでに、現場では100余名の生徒の高校進学を支援してきましたが、残念ながらそのうちの、20%以上がすでに高校を中退しています。中退した生徒のほとんどが、定時制高校に進学した生徒たちです。

高校を中退した後に再入学した生徒もいますが、そうでない若者たちのその後の就労状況は決して良いものではありません。全日制だからと言って中退しないか、というとそうではないのですが、今までの数少ない支援経験から、全日制高校に進学した生徒たちの方が、全体的に「高校生らしい」安定した生活を送っている傾向にあるのです。

 

また、もう一つは「夜間」の心理的ハードルの高さです。特に女の子の場合、夜間に外出すること自体が本人と親御さんにとって抵抗が強い場合があります。夜間に年頃の女の子が、学校へ行くためとは言え外出することへの不安は、開発途上国など、夜間の安全が確保しづらい国にルーツを持つご家庭に強い傾向があります。

定時制しか行けないくらいなら、働かせたい」という親御さんもおり、昼間の学校に行ってほしいと願う気持ちが強く伝わってきます。

かと言って、残念ながら現時点では全日制高校への進学はハードルが高く、地域の定時制高校の先生方と連携を取り、日本語を母語としない生徒にとって、よりよい進路が開けるよう模索しています。

 

「高校進学・卒業」は人生のすべてではありません(かく言う私も、高校中退→24歳で高卒認定取得後に大学進学しています)。ただ、自立への一歩であることに間違いはありません。

子どもたちの言語難民とも呼びうる状況を放置しておいては、彼らの近い将来の自立はままならず、その結果として、日本社会にさらなる負担が積み重なるリスクがあります。子どもたち1人1人の人生だけでなく、私たち自身に関わる課題なのだと、くどいようですが声を大にして皆さんにお伝えしたいところです。

 

中小企業に新たな風-海外にルーツを持つ若者とあなたの事業を国際化。

<多言語・国際感覚を持つ人材が中小企業に新たな市場をもたらした>

少し古いですが2015年8月30日の朝日新聞に、以下のような記事が掲載されました。

www.asahi.com

 

 そこに書かれていたのは、難民の方を雇用することで海外市場を開拓した中小企業2社の成功事例でした。

 

従業員8人のユーエムの正社員になったのは来日4年目の今年4月。採用に乗り出したのは、専務の川崎裕弥さん(32)だ。

 切削工具などを扱う同社の顧客は、ほとんどが県内の中小企業だった。だが08年のリーマン・ショック、11年の東日本大震災で多くの取引先が廃業し、売り上げは激減。海外市場に目を向け、米国に営業に飛んだが、英語力が追いつかず商談に結びつかなかった。

このような状況の中、難民の方を雇用したことで 

 

ホセインさんは商品の検品業務とともに、メールや電話で海外市場開拓も担当。今月、ついに同社として初めて、台湾企業と新製品の商談が実現しそうだ。

 

と、海外市場への一歩を踏み出しました。

また、同記事には自動車用の金型などを製造する中小企業が、やはり難民や海外からのインターンの雇用を進めたことで、現在6ヶ国語での海外の顧客に対応することが可能となり、仕事の7割が海外向けになったという事例も紹介されていました。

 

<基地の町、東京都福生市周辺では・・・>

 

私たちの現場がある東京都福生市外国籍住民が人口の5%を占め、周囲の自治体と比較すると、外国出身者の多い町です。また、在日米軍基地である、横田基地を擁しており、私が生まれる前から、色々な面で「アメリカ」を身近に感じるそんな土地柄です。

 

駅の近くにあるスーパーでは、レジに並べば数ヶ国語が同時に聞こえてくるし、駅のホームに立てば、そこにはアメリカ、東アジア、東南アジア、アフリカなど、様々な人々と共に電車を待つ、という日常。

 

かと言って、この周辺の自治体主導で多言語表記が進んでいるとか、多文化共生の先進地域である、と言ったことがあまり見られないのは残念なところではあります・・・。

(少しずつ変わってきてはいるようですが)

 

それでも一部、地域内にあって尚「外側」にアンテナを張ることで、顧客層の拡大に成功している事例があります。

 

1つは、チェーン店ですがカレーハウスCoco壱番屋さん。

英語、中国語、ロシア語、ポルトガル語など6言語に対応した多言語メニューブックを備えている他、福生駅にある店舗では、英語によるポップ掲示やバイリンガル店員、米ドルでの支払いを可にするなどの対応で、米軍基地に勤める方々を中心に大人気。

いつ行っても(私が行く時間帯は偏っていますが・・・)、店内の半数以上が日本語以外の言語を話している、という状況です。

ちなみに、隣の町にあるCoCo壱番屋さんでは、これほどの多言語対応はしておらず、店内も海外にルーツを持つ方が目立って多い、ということはなさそうでした。

 

もう1つは、私の子どもがおせわになっている小児科のクリニック。

こちらは特に多言語表記がある、と言うわけではないのですが、フィリピンにルーツを持つ看護師さんが勤務されていて(日本国籍で、幼少期に来日したとの事ですが)、日本人の親御さんとお子さんには日本語で接していますが、フィリピンにルーツを持つ親御さんとお子さんがいる際にタガログ語で、小児科の先生の言葉を丁寧に通訳したり、やさしい声かけをしたり、予防接種の問診表を記入する手伝いをしたり。

この看護師さんが入る前から評判の高いクリニックではありましたが、地域のフィリピン人のお母さんたちの間にもその情報が広まり、さらに人気のクリニックに。

安心できるのはフィリピンにルーツを持つ家族だけでなく、そのクリニックのお医者さんや同僚の看護師さんも同じなのだな、と、双方から頼りにされている看護師さんの姿を見て実感しています。

 

 <海外市場の開拓にも、新たな顧客の開拓にも>

新聞記事にあった、難民を雇用したことで海外市場を開拓した2つの中小企業さんも、福生市という小さな町にある飲食店や小児科クリニックも、自分たち自身に「グローバル化」を内包した(多言語・国際感覚を持つ人材を雇用した)結果、新たな市場の開拓や顧客層や顧客サービスの拡大につなげた事例であるといえます。

 

 今、この地域で現場を運営して6年目となり、私たちのスクールで学んだ”かつての子どもたち”が、いまや若者となり、地域の介護施設や美容院、コンビニなどで働くようになりはじめ、この地域の持つポテンシャルが高まりつつあることを感じています。

 

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(写真:間近に迫った文化祭に向けて、歌声が響く現場で。)

 

海外にルーツを持つ若者は雇用側がその能力を生かすように”舵取り”さえすれば、地域の製品を多言語でネットに載せて海外へ販売するなどの海外市場の開拓にも、すでに地域に暮らしている外国出身者や観光客への対応など、ローカルの多言語ニーズの掘り起こしにも、どちらの側面にも一翼を担える可能性を持っています。

 

<”日本的”を共有しながら働くことができる>

特に「海外」をベースに成長してきた留学生や外国人保護者とは異なり、子どもの頃に日本にやってきて日本の中で教育を受け、成長した海外にルーツを持つ若者は、「日本」の社会と文化を一定以上の割合でベースとしていることが多いと言えます。基本的な”感覚”を共有することができる、というのは雇用主にとっても安心感につながることも、ありそうですね。

 

会社の国際化を検討していたり、地域内の多言語ニーズの開拓や外国人観光客需要の呼び込みなどを考えている方がおられたら、まずは日本で成長してきた「海外にルーツを持つ若者」の雇用を検討してはいかがでしょうか?

 

あ、ちなみに私が所属するNPO法人青少年自立援助センターでは、海外にルーツを持つ若者の就労と自立をサポートしています。無料職業紹介も可能ですので、海外にルーツを持つ若者の雇用に興味のある方は、info@tamayass.jp までお問い合わせください~

 

日本語を母語としない子どもを「言語難民」にする、大きな誤解。

 先日のエントリー、

ikitanaka.hatenablog.com

 のタイトルにつけた「言語難民」という言葉。

 

J-WAVEの放送作家で、劇団東京フェスティバルを主宰されている、きたむらけんじさん(@tokyofestival )が、日本語を母語としない子どもや、海外にルーツを持つ方々の言語習得・言語教育に関する困難な状況と課題を知り、一般の方々にこの問題が伝わりやすいように、と考えてくださった言葉です。

  

 

特に子どもは特に言語教育がなくても、「耳で聞いてすぐに覚えることができる」という誤解が根強くあって、日本語教育の必要性が理解されづらい状況です。

 

確かに大人より、適応する力が高い子どももいて、驚く程速く上達する場合もありますが基本的には、「耳で聞いて習得できる」状況にはいくつかの前提条件があります。

 

1つ目は、9~10歳よりも年齢が低いこと。この年齢が言語の自然習得の限界点だと言われていて、これは現場での実感値にも合致してきます。

 

昨年度、私たちのスクールにやってきた中学に在籍する生徒は、来日後1年以上、なんの支援もないまま、ただ学校の教室に座り続ける日々を送りましたが、「おはよう」や「だいじょうぶ」以外の日本語はほとんど話すことができないままでした。

また、以前に支援をした別の中学生は、小学1年生の時に来日し、小学校6年間無支援の状況に置かれていた結果、日本語はカタコト程度に留まり、母語も年齢相応には届いていない状況で「発見」されました。

 

お子さんの家庭の環境や元々の性格などにもよりますが、少なくとも、10歳を超えている場合は、日本語の第2言語としての習得を支援することのできる、専門的な知識を持った日本語教師によるサポートが必須であると考えています。

 

2つ目は、母語がしっかり育まれている安定した環境にあること。その子どもと、最も愛着が形成されている関係にある大人が、一番自由に使うことのできる言葉で子育てができる環境にない場合、その子どもの第2言語となるべき日本語の習得にも支障が出る場合があります。

 

何度も繰り返しお伝えしていますが、日本語を母語としない保護者の中には、日本の保育園や学校、支援機関などで、お子さんについて「日本語が早く上達するように、家の中でも日本語で会話を」と言った”善意のアドバイス”をされている方が少なくありません。

 

あるいは、日本人男性と結婚・同居している場合に、その男性または男性の家族から家庭内での外国語の使用を禁止されているケースもあります。

 

現場では、こうして非母語である日本語のみで育てられてきた子どもたちと、数多くであってきましたが、その内の大半のケースで、「シングルリミテッド」と私たちが呼んでいる現象が発生しています。

 

ikitanaka.hatenablog.com

 

これは、私たち周囲の人間が、正しい情報を持っていれば避けられる可能性が高い現象であり、誤解を恐れずに言えば、不正確な誤解に基づく情報を”善意でアドバイス”したり、積極的に伝える努力をしないがために、子どもたちの発達に大きな影響を与えた、人為的な現象である可能性が高いのです。

 

どうぞ正しい知識と理解を持って、子どもたちの「言語難民化」を、共に防いでいきましょう。

 

母語の大切さについて、より詳しく理解するために>

 

関西母語支援研究会さんのウェブサイトを、ぜひご覧下さい。

 

education-motherlanguage.weebly.com

 

 

「言語難民」!?-外国にルーツを持つ子どもの日本語教育、その責任は?

 

 

 
10月6日の夜、FMラジオ局 J-WAVE81.3、JAM THE WORLDという番組に出演させていただきました。
パーソナリティは元NHKアナウンサーで、NPO法人8bitnews主宰、ジャーナリストの堀潤さん。

「外国にルーツを持つ子どもたちに対する日本語教育は誰が担うべきなのか?」
http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/break/index.html




初めてのラジオで、とても緊張したこともありうまくお伝えできたか不安なのですが・・・
今回のテーマとなった「子どもの日本語教育の責任はどこが負うべきか」という問いについては、深く考えさせられました。

番組内では、

Q:日本語教育を必要としている子どもたちへのサポートは
  どこが責任を持って担うべきだと思われますか?

という趣旨の問いが投げかけられ、概ね、以下のような内容でお答えしました。

((((『こうした子どもたちに適切な教育機会を提供していくことで、バイリンガル人材やグローバル人材の育成につながります。
農業でも、サービス業でも、医療や介護でも、各産業にバイリンガル人材が雇用されてゆくことで、新たな市場や顧客の開拓などにつながり、日本社会全体が恩恵を受けられる可能性があります。

また、今後、日本が少子高齢化等による人材不足から外国の人々に対して門戸を開いてゆく方向性であることや、グローバル社会の中で人の移動が世界レベルで行われていることなどを考えても、こうした子どもたちの教育の責任主体は国が担うべきであると考えています。』

実は、番組に出演させていただく直前に構成をいただいていて、上の様な質問があることを事前に知ることができ、カンペとして準備をしていました。
ただ、堀さんは現場にも足を運んでくださったり、当日、リスナーの方からの反応をみながら進行されていたので、ほとんど構成の順番通りには進まず、私もカンペみずに、自分の言葉で堀さんとその場で対話させていただくことができました。

堀さんはまさに、ラジオでは『ナビゲーター』なのだな、と感動しきりでした。

さて、この問いに関連して、構成上ではもう一つの質問が用意されてました。
オンエアではお話しなかったのですが、それは

『外国にルーツを持つ子どもたちに対する日本語教育について
 国や自治体に対して、どんな制度、サポートを求めたいですか?』

というものでした。

一応、カンペに私なりの答えを用意しておいたので、ここでご紹介します。

『今、外国籍の子どもの教育は義務教育ではありません。外国人の子どもは教育を受ける権利を持っていますが、その保護者はその子供たちに教育を受けさせる義務を負っていません。

この部分を、国がしっかり「日本社会の子ども」として定義し、日本国籍を持つ子どもたちと同様に外国にルーツを持つ子どもの教育を、公的に位置づけるべきです。

それが根拠となることで、各自治体が外国にルーツを持つ子どもたちの教育に取り組む必然性が生まれます。そこを起点にして、それぞれの地域に住む子どもたちの実態に合わせ、NPO日本語教育専門家との連携により、適切な教育機会や支援が提供できるよう、予算措置を行うべきだと考えています。』
<まず、受け皿を安定させるところから>
まず、公教育を受けさせる義務を国が明確にすることで、国、地方自治体、学校、保護者の役割がそれぞれ明らかにされるはずです。
その上で、専門人材や専門的支援、地域や企業などができることなどを民間と擦り合わせてゆくようなプロセスが必要だと考えています。

現場レベルでは、そんなことを待っていたら、子どもが大人になっちゃうよ、という声が聞こえてきそうですが、様々な施策や制度を、単発、単年度のもので終わらせないために、確たる根拠も急ぎ確立したいところです。

ちなみに、タイトルに入れた『言語難民』という言葉は、昨日のラジオ番組、JAM THE WORLDの放送作家である、きたむらけんじさんが、外国にルーツを持つ子どもたちや日本に暮らす日本語を母語としない方々の、複雑な言語状況や教育格差などの諸課題を、ひとことで伝えられるよう、考えてくださったものです。

こうした方々を、言葉の『難民』にしないために、今、私達に何ができるでしょうか。